2020年2月22日開催
第15回女性スポーツ勉強会より 報告その5 2020東京オリ・パラの見方について コーディネーター宮嶋泰子
第15回女性スポーツ勉強会のテーマは「2020オリンピック・パラリンピックイヤーだからこそ考えよう。スポーツにできること」というものでした。ご登壇いただいたのはSDGsの専門家でいらっしゃる田瀬和夫さん、IOC(国際オリンピック委員会)とIPC(国際パラリンピック委員会)で教育委員を務める長野パラリンピックアイススレッジ金メダリストのマセソン美季さん、リオデジャネイロオリンピック柔道金メダリストで現在筑波大学大学院を卒業された田知本遥さん、産婦人科のスポーツドクター高尾美穂医師、そして総合コーディネータはカルティベータ代表理事の宮嶋泰子でした。
シリーズで、この勉強会の概要をお伝えしていますが、第5回は2020東京オリンピック・パラリンピックの見方についてコーディネーター宮嶋泰子から「2020年オリ・パラをどう観るか」についてお話しをしました。自国で開催されるオリンピック・パラリンピックだからこそ、自国の選手を応援するだけではなく、もっと広い見方ができるのではないだろうか、そんな世界的な視座に立っての話でした。
※女性スポーツ勉強会が行われた2月22日の段階では、まだ予定通り行われるとだけ言われていた2020東京オリ・パラですが、その後、世界中に蔓延するコロナウイルスの影響で、2021年に延期されることとなりました。いつ行われようと、見るべきポイントと言うのはあまり変わらないと思うので、それについて述べたことを以下にまとめることといたします。
宮嶋泰子
スポーツ文化ジャーナリスト
元テレビ朝日スポーツコメンテーター
(一社)カルティベータ代表理事
テレビ朝日にアナウンサーとして入社後、スポーツキャスターとして仕事をする傍ら、スポーツ中継の実況やリポート、 さらにはニュースステーションや報道ステーションのスポーツディレクター兼リポーターとしてとして自ら企画を制作し続けてきた。
1980年のモスクワ大会から平昌大会までオリンピックの現地取材は19回に上る。
43年間にわたってスポーツを見つめる目は一貫して、勝敗のみにとらわれることなく、 スポーツ社会学の視点をベースとしたスポーツの意味や価値を考え続けるものであった。
2016年には日本オリンピック委員会からの「女性スポーツ賞」を受賞。
1976年モントリオールオリンピック女子バレーボール金メダリストと共にNPOバレーボール・モントリオール会理事として、 日本に定住する難民を対象としたスポーツイベントを10年以上にわたり開催、さらには女性スポーツの勉強会を定期的に行い、 2018年度内閣府男女共同参画特別賞を受賞。
社外の仕事として文部科学省青少年教育審議会スポーツ青少年分科会委員や日本体育協会総合型地域スポーツクラブ育成委員会委員、 日本オリンピック委員会広報部会副部会長、日本障がい者スポーツ協会評議員他、多くの役職を務める。
2020東京オリ・パラの3つの柱
コロナウイルスで揺れに揺れている2020東京オリンピック・パラリンピックですが、今回は中止や延期についてではなく、この大会が行われた時の一つの見方をご紹介したいと思います。1964年の敗戦からの復興、高度成長真っ盛りの東京オリンピックであれば、「がんばれニッポン」でもよいのだと思いますが、今は日本だけにがんばれと声援を送る時代ではありません。普段とは異なる視点をご紹介します。
まずこの大会についてをどう観るかを考える前に、この大会には3つの柱があることをごぞんじでしょうか。
- 全員が自己ベスト
- 多様性と調和
- 未来への継承
いかがですか?2020東京オリ・パラが話題になる割には、この3つの柱は意外と知られていないように思います。この中で二番目の多様性と調和が、今の日本社会にとって一番大切なことではないかと私は思っています。多くの外国人労働者が日本に入ってくるようになり、高齢化社会で人生100年時代と言われて中高年が多くなっています。さらに日本の男女のジェンダーギャップ指数は153国中121位と後進国よりも低い数字です。またLGBTQに対する理解も急速に求められています。障がいを持った人々に対する理解もまだまだ低いのが日本です。国籍、宗教、年齢、性差、個人差などを多くのバリアを超えて理解する多様性と調和、共生を意識していくこと、これが2020東京オリンピック・パラリンピックを見ながら私たちの意識に注入されてくればとても素敵なことだと思います。
女性とオリンピック
近代オリンピック第一回の1896年のアテネ大会の時には女性の参加は認められていませんでした。第二回大会でテニスに女性の参加が認められ、1928年のアムステルダムでは陸上競技に女性が参加できるようになり、日本の人見絹枝さんが800mで銀メダルを獲得しています。こうして徐々に増えていった種目数は2012年のロンドン大会で、女子ボクシングが加えられたことで、男性と女性の競技種目の差はなくなりました。ただ、女子だけが参加できるアーティスティックスイミング(旧シンクロナイズドスイミング)や新体操は存在します。
同じく、2012年のロンドン大会でサウジアラビアから初めて女子選手が参加し、これで全ての国が女性選手を派遣したことになりました。
ブラジル男子柔道の監督は日本女性
東京で注目したい人にブラジルの男子柔道監督となった藤井裕子さんがいます。男子柔の監督となった女性は彼女が初めてです。英国国営放送のBBCも伝えていたほど画期的な出来事でした。
彼女は日本にいたときにユースの代表ではありましたが、日本代表としてオリンピックなどの出場経験はありませんでした。愛知県大府市の道場で育ち、広島大学に進学、その後、英国に留学し、そこでロンドン五輪を控えた英国チームのアシスタントコーチになります。その時に指導した女子選手が銀メダルを獲得。それを見初められて、リオデジャネイロオリンピックを控えたブラジルからコーチのオファーが舞い込みました。当時結婚して間もなかった裕子さんは、日本で教員をしていた夫とともにブラジルに渡ります。リオで二人のお子さんを出産し、夫のサポートを得てリオでの指導が続けられることになりました。彼女が技術指導した女子選手ラファエラ・シルバがリオデジャネイロオリンピック最初の金メダリストとなり、彼女の確かな技術指導が認められます。そののち、東京を目指すにあたって、裕子さんは男子監督に抜擢されたのです。一人一人の選手に寄り添って、確かな技術を繰り返し習得させていく手腕は見事なものです。一つ一つバリアを破って前進していく女性の存在を是非東京オリンピックでも見てほしいと思っています。
難民選手団を率いるのはかつてのスーパーヒロイン
今回の多様性という意味でいうと、2016リオ五輪に続いて2020東京オリ・パラも難民選手団が出場します。誰もがスポーツをする権利があるという意味ではまさに「誰も取り残さない」というSDGsの精神そのものです。難民選手団の団長は、テグラ・ロルーペさん。ケニアが生んだ女子長距離のスーパースターでした。マラソンの世界記録はもとより、1万、5000mのトラックレースでも優勝し、多くの賞金を稼ぐことができた選手です。ケニアの女性が結婚する時、牛何頭と引き換えにという慣習がありました。彼女には自分の脚で稼いだ現金がありました。
一夫多妻制の中で100人以上の甥や姪がいる中、彼らの学校への費用や病院の費用も全部面倒を見てきました。彼女は、ボコト族で差別を受けて生きてきました。世界のレースに出てもアフリカ出身の女性であるということで差別を受ける。しかし、彼女は差別経験したからこそ、相手にやさしくする強い心を持っていたのです。ただ速いだけの選手ではなく、リタイアした後も、しっかりとした考え方のもとに平和マラソンを主催したり、難民のためのトレーニングサポートを行ってきたのです、こうした女性がいることを私はとても誇りに思います。
ちなみに、この写真は彼女の現役時代にドイツに取材に行ったときに撮影したものです。抱き合っているので顔はよく見えませんが、とにかくフレンドリーな選手でした。
最後に映像を一つ見ていただきたい。
これはリオデジャネイロパラリンピックのために作られたPR映像ですが、まさにYes,I can.
1920年代に世界中に女性が参政権を持とうとした時に、女性に政治がわかるはずがないと大変な差別に会いながらも権利を獲得していった女性たち、さらには1928年にオランダのやじ馬たちに冷やかされながらもアムステルダム五輪の陸上競技場に短パンでトラックに飛び出していった人見絹枝さんなど初めて陸上競技に出場を許された女子選手たち、おそらく、皆さん、心の中で、Yes I canと言いながら闘っていた違いないと思うのです。一つ一つ可能性の扉を開くきっかけになるもの、それもオリンピックやパラリンピックが果たせる大きな役割ではないかと思っています。
凝縮された時間と空間の中で体験する濃密な時間は選手個人にとってはかけがえのない人生の先行体験になっていくのだろうと思いますが、同時に観るものにとっても、オリンピック・パラリンピックは世界の社会現象を先取りして展開し、大きな気づきを与えてくれる舞台でもあるのでしょう。