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2023.12.18

日本で唯一の難民と若者がスポーツで交流するイベント、アジアスポーツフェスタ2023リポート

日時:2023年10月22日(日)

場所:神奈川県立横浜国際高校

主催:一般社団法人カルティベータ

共催:神奈川県立横浜国際高校

協力:モントリオール五輪女子バレーボール金メダリスト有志、元日立バレー部選手

関東学院大学細谷ゼミ生、東海大学女子バレーボール部員、横浜市南区スポーツ推進委員

後援:横浜市にぎわいスポーツ文化局、UNHCR(国連難民高等弁務官)東京事務所

協賛:ダスキン株式会社、国土防災設備株式会社、合同会社PRISM

【参加者】ベトナム、カンボジア、ラオスからの元インドシナ難民やその家族、東アフリカ某国からの難民申請者など計34人

【難民としての体験談話者】ベトナムからのボートピープルとして南雅和

アフガニスタン初の女子オリンピアン(柔道)で難民となったフリバ・ラザイー

【指導者】<バレーボール>モントリオール五輪女子バレー金メダリスト矢野(現姓池田)広美(カルティベータ会員)、金坂(現姓田中)克子、横山(西川)樹理。元日立バレー部本島(現姓古川)千代子、鈴木晴美。東海大学女子バレーボール部10人

<準備体操とダンス>長谷部美樹

<ネットボール>日本代表つばきジャパン20人 多胡英子会長

【救護】ケン整骨院

【サポート】神奈川県立横浜国際高校生徒(ボランティア部、地域連携部)8人、横浜国際高校教員6人、関東学院大学細谷ゼミ32人、細谷早里教授、横浜市スポーツ推進委員15人。

【広報及び記録】奥本浩平、Yo Ngaya、松本良雄

【ゲスト及び参加者アテンド】岩﨑多佳子、有川憲治、キャサリン

【統括及び総合司会】宮嶋泰子

【賞品提供企業】

旭化成ホームプロダクツ株式会社、東武トップツアーズ株式会社、株式会社ゴーゴーカレーグループ、ミズノ株式会社、味の素株式会社、全国農業協同組合連合会、サントリーホールディングス、キッコーマン株式会社、株式会社TENTIAL、まるか食品株式会社、オタフクソース株式会社、日本バレーボール協会、横浜市スポーツ協会

【資金寄付者】吉野次郎、橋本しをり、中里雅子

【協力者】荒木田裕子、志賀ツヤコ

以上敬称略

実施状況

*開会式

参加者はチームごとに座り、舞台上でモントリオール五輪金メダリストや元実業団選手などの指導者や救護を紹介。学校からのお願いを生徒が伝える。

*準備体操:

本場キューバで習得したキューバンダンスの第一人者、長谷部美樹さんの指導で準備体操や楽しいキューバンダンスを全員で行う。初体験の動きを曲に合わせてする面白さ。人がつながっていく楽しさ。あっという間に皆友達になっていく。雰囲気が一気に和んだアイスブレーキングとして素晴らしい時間となった。

*バレーボール

男子は通常のネットとボールを使用。特にカンボジアやベトナムの男性はバレーボールに慣れており、ブロックやスパイクなどもお手の物に見えた。一方、若い頃からスポーツをする環境がなかった女性たちは、バレーボールに慣れていない人が多く、そのため、女子はバドミントンネットと小学生用のボールを使った。東海大学女子バレー部の学生が必ずチームに入ってサポートをする形でゲームを行った。東アフリカ某国からの難民申請者にバレーを教える東海大学の学生の姿もあった。

所々で金メダリストから「サーブをしっかり入れていきましょう」などとアドバイスが入る。メンバーが足りない所には、大学生や高校生がチームに入り、楽し気な声が響いた。試合はリーグ戦形式で行われた。

バレーボールをする人たち

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*昼食

 南雅和さん経営するイエローバンブーからのベトナム料理のお弁当。生春巻き、鶏肉とレモングラスのピリ辛炒め、五目蒸しに別のカップでデザートもついてボリューム満点。生徒や学生の中には初めてベトナム料理を口にする者も少なくなかったサラダと肉料理 自動的に生成された説明

           

*南雅和さんのボートピープルとしてのお話:

ベトナム戦争終結後、父が南ベトナム軍の将校だった南さんは、迫害を恐れ、新体制から逃れるために、難民としてベトナムを出ることを決意。長さ14m幅4m、定員十数名の漁船にぎゅうぎゅう詰めの状態で104人とともに乗船。当時南さんは14歳だった。死ぬか生きるかの覚悟での出航。雨水を飲みながら過ごした4日目、燃料も少なくなり全員が絶望に襲われかけた時、遠くに小さな明かりが見えた。そのかすかな明かりを頼りに船を走らせると、それは日本の漁業実習船だった。一目見てベトナムからのボートピープルだとわかった漁業実習船の船長は判断を仰ぐために外務省に打電。しかし、外務省からの答えは冷たく「無視するように」だった。船長はその命令に従うことをせず、目の前にいる105人を実習船に乗せて日本に向かう。南さんたち一行は九死に一生を得ることができた。

そして、それから36年後、南さんはこの沖縄水産高校漁業実習船の船長と涙の再会。この船長に助けてもらわなかったら、今の自分はいないと語る。

現在、南さんは千代田区霞が関にあるイイノビルB1でベトナム料理店を経営。今回のランチ弁当も南さんが準備してくれた。
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*フリバ・ラザイーさんから難民となったこととアフガニスタンの女性のお話:

今回、柔道の研修で来日し、東海大学で合宿中だったフリバさんが急遽参加してくれた。

タリバンが勢力を振るうアフガニスタンで、少数民族だったフリバさん一家は迫害されパキスタンの難民キャンプで暮らしていた。2001年米国がアフガニスタンに侵攻し、タリバン政権が倒れたことから、フリバさんの家族は難民キャンプを出てカブール近郊に住む。スポーツが得意だったフリバさんは柔道を始め、2004年のアテネ五輪に初のアフガニスタン女性オリンピック選手として16歳で出場する。しかし、アフガニスタンの伝統であるヒジャブをかぶらずにショートヘアーで試合に臨んだことから、帰国後、殺人予告をされるなど迫害され、3日間隠れていたこともある。その後難民申請をしてカナダに移り住む。2021年に米国がアフガニスタンから撤退した後、再びタリバン政権が樹立され、アフガニスタンの女性たちはスポーツをすることも、高等教育を受けることもできなくなってしまった。学校は3年間しか行けない。女性への差別は尋常ではないと話す。現在はバンクーバーで教員として仕事をしながら、女性の地位向上のための活動家としても活動をしている。 

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ベッドに横たえている男性 中程度の精度で自動的に生成された説明

           

*ネットボールデモンストレーションと体験教室:

ネットボール協会の多胡英子会長自ら指揮を執り、日本代表のツバキジャパンのメンバーが日本各地から集結し、模範試合が行われた。東アフリカ某国からの難民申請者はバスケットボールの経験があるだけに呑み込みが早く、あっという間に上達。東海大学女子バレー部も持ち前の運動神経の良さを発揮してゲームに参加。初めてとは思えないほどのスピードでボール回しが展開。参加した若者たちの歓声が体育館に響いた。

   

    

      

*障害物リレー:

横浜市南区のスポーツ推進委員が準備をしてくれて、毎年最も盛り上がるイベント。タスキをリレーしながら、テニスラケットでボールを運んだり、ネットの下を潜り抜けたり、マット上で前転をしたり、さらにはバレーボールのパスも関門の一つとなる。

   

ジャンプするスケートボーダー

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*表彰式:

多くの企業からご寄付いただいた賞品が参加者やスタッフに配られ、そのたびに笑顔が広がった。

金メダリスト矢野広美さんの畑で獲れた無農薬の大きなサツマイモは例年同様、大好評を博す。山のような商品の数々に加え、今年はスカイツリーの入場券20枚も羨望の的。他、1万円の商品券などもあり、最後はじゃんけんで決める姿も見受けられ、賑やかなエンディングとなった。

*片付けと解散

お疲れさまでした💛

難民参加者からの感想

東アフリカ出身 リビ(仮名)

私は東アフリカから来た難民です。2年前に日本に来ました。10月22日、アジアスポーツフェスタに参加しました。まず自己紹介を行いました。 その後、別々のチームに分かれました。 その後は一緒にエアロビクスやストレッチを行いました。 それから私たちは6対6のバレーボールをするようになりました。6試合をして5勝し、負けたのは1試合だけでした。 その後、美味しいお弁当を食べました.

午後、アフガニスタン人女性の興味深い歴史を聞きました。 彼女は元オリンピック出場者です。 彼女はカナダに住むアフガニスタンからの難民です。 その後、ネットボールの遊び方を学びました。 それからプロと一緒にプレイしてみました。 とても面白いゲームです。 その後、元日本のオリンピックメダリストに会った。 その後、主催者の方からご褒美を頂き、その日の最優秀選手として商品を頂きました。 とても興味深いイベントでした。

東アフリカ出身 マリア(仮名)

わたしは東アフリカからきました。2022年に日本にきました。わたしは、なんみんです。いま、かながわけんにすんでいます。

わたしは、日本でスポーツフェスティバルにでたことがありませんでした。その日をとてもたのしみにまっていました。

あさはやくおきて、朝食をすまして8時30分に横浜国際高校につきました。アフガニスタンの方のスピーチにかんどうしました。

みんなで一緒にたいそうし、バレーボールのチームづくりをしました。わたしのチームメイトはすごく強いです。ネットボールははじめてでした。すごくおもしろかったです。わたしは陸上選手でした。さいごのリレーでは、昔のことを思いだしました。さいごに、たくさんのお土産をもらいました。そしてたくさんのともだちもできました。とても、たのしかったです。ぜひ、らいねんもまたでたいです。

サポートしてくれた横浜国際高校の生徒からの感想

ボランティア部(2年次生)

アジスポではお世話になりました。

様々な出身地の方がYISにいらっしゃるということで、海外出身の方々が日本での生活をどのように感じ、過ごしているのか話を聞きたいと思い参加しました。難民の方々とバレーボールや、障害物リレーなどを通して、楽しくコミュニケーションをとることができました。参加されているみなさんがなかなかバレーボールのレベルが高く、白熱した試合になり楽しかったです。お昼はベトナム料理のお弁当を食べることができ、お店の方のお話もお伺いすることができて良かったです。

体も動かしつつ、他文化に触れながら良い経験をすることができました。大学生の方とも協力し、迅速に行動、対応する力が身についたと思います。

スポーツを通したコミュニケーションの可能性と世界の現状について知ることができました。

景品の抽選などもあり、最初から最後まで楽しむことができました。

今後、アジスポに参加した経験を活かし、海外に行く際や、外国の方と交流する際に自ら積極的に話しかけたりしたいと思いました。

地域連携委員会 委員長(2年次生)

 

 

 

難民としての経験談を聞いて 大学生からの感想

アジアスポーツフェスタ 難民の話       関東学院大学   ヨウハン

今回の授業はとても勉強になった、南さんの話を聞くと不思議に思う、狭い空間で、そんなに人々が収容されていて、人は人にくっついている、みんな大変だった自国で紛争や危険から逃れ、新しい生活を築こうとする姿勢を示すものでした。

   難民として新しい環境に適応しなければならない経験共有しています。彼らは身の安全や家族の安全を守るために困難な決断を迫られました。これは難民の生活の複雑さと不確実性を示しています。新しい国での生活を築く際に支援を受けることは、彼らの成功に不可欠であり、国際社会は難民への支援に対する責任を持つべきです。

   南さんとアフガニスタンの女性は新しい生活を始める勇気には、非常に深い感銘を受けた。このような困難な状況での決断は、強い決意を示しています。

   最初はとても難しくに思う、新しい国での受け入れや適応、身の安全や安定した生計の確保が難しいことがよく分かります。難民はしばしば差別や偏見にも直面し、社会的な障壁を乗り越えなければなりません。

   新しい環境で異なる文化や言語に触れることは、南さんと女性にとって大きな挑戦でしたが、同時に異なる背景に対する理解と共感を育む機会でもありました。多文化主義を尊重し、異なる人々に対する開かれた心を持つことは、社会にとって重要だ。新しい生活を送ることができることを示しています。難民が新しい国で多様な分野で活躍する例は、社会にとって豊かさをもたらします。

   この世界にはいつも私たちが知らない隅がある。彼らは自分の物語を経験している。自分の人生は、私たちとは全く違う、南さんと女性の話は人道的な視点と国際的な協力を強化する必要性を思い起こさせてくれます。私たちの社会は、難民を受け入れ、サポートすることでより豊かなものになることを覚えておくべきだ。

アジアスポーツフェスタ2023       関東学院大学   井出雄大

私はまずベトナム難民の南さんの話を聞いて、小さい船に約100人以上が箱詰めになりながらもベトナム戦争から逃れて生きていくため、乗るしかないと覚悟を決めた南さんや他の難民の気持ちを充分に理解することができ、ベトナム戦争が如何に恐ろしく残酷な戦争だったのか改めて知ることができました。

また当時南さんがボートピープルとして日本に助けを求めて亡命していた時、たまたま近くで航海していた日本国籍の船舶に救助され、「もしその船に救助されていなかったら私はもうこの世にいなかったかもしれなかったです」と言葉を聞いた時、船長さんの思いやりと南さんたちの諦めない気持ちと執念を感じることができ、今後の自分が窮地に立たされた時にはこの話を思い出して困難に立ち向いたいです。

次にアフガニスタン難民の女性の話を聞いて、まず子供の時から差別を受け、争いから逃れるために難民として亡命した話を聞いて、彼女以外にもアフガニスタンの難民は今でも沢山いるのだろうか?どうすればアフガニスタンの男女格差を改善することができるのか考えたいと感じました。

また彼女は日本で沢山の出会いやスポーツを通して、「日本人の方は何も知らなかった自分に優しく接してくれて本当に良い国です」と言葉を聞いた時、日本人の優しさと彼女がどんなに辛い体験をしたとしても、前向きに頑張っていける勇気と自信を感じ、自分も誰かの役に立てるよう努力していきたいです。

最後に今回2人の話を通して、今も各国で亡命をしている難民がいるが、日本の難民認定率は他の国よりも圧倒的に低い状況であり、どうすれば受け入れがよくなっていけるか考えていきたいです。また私は今まで難民の方と交流をしたことがありませんでしたが、今回の体験を活かすため、今後難民に関するイベントやフェスに参加し、色んな方の話を聞いて自分ができることは何か考えていきたいです。

アジアスポーツフェスタ難民の方のお話    関東学院大学   細田万友    

ベトナム難民の南さんとアフガニスタン難民の女性のお話は異なる背景と状況だが、お二人とも勇気を持った立派な方だと感じた。

南さんはベトナム出身で、現在は「南」という故郷の地名に因んだ名前に改名し、ベトナム料理店を営んでいる。南さんは14歳の頃、ベトナム戦争の影響で母国から船で逃げ出した。しかしその船は密航船で、道中では銃弾が飛んだこともあったという。これから明るい未来を歩むため、幼い少年だった南さんは命をかけて行動したのだ。

戦争を知識のみで捉えていた私にとって、南さんのお話は信じがたいものだった。しかし、時が経った現在も紛争が続く地域に住む多くの子供たちが、南さんと同様の状況に直面しているだろう。南さんの経験は約40年前の出来事であるにも関わらず、未だに戦争に苦しむ子どもたちが存在する現実に心を痛めた。

アフガニスタン難民の女性は柔道選手で、彼女の母国では女性の教育を受ける権利や自由が厳しく制限されている。さらにスポーツをすることも抑圧されている。実際に彼女は殺害予告を受け取ったことがあり、命の危険を感じる状況にさらされた。私はなぜ女性が柔道をしているだけで殺害の対象になるのか、平等に人権を持つことができないのはなぜかと疑問を持った。日本では考えられないほど、アフガニスタンという国は女性の社会的地位が低く、世界平和が目的のひとつであるスポーツでさえ、覆せない深い溝があるようだ。

世界平和・世界の人道的課題解決・国際協力などを目的とする国連においても、スポーツの持つ力は注目を集めている。そのような国際舞台で彼女はオリンピックの代表選手に選ばれ、彼女自身もアフガニスタンに良い変化が起こると期待を膨らませていただろう。しかし実際は、オリンピック出場で有名になったことで、女性の権利と自由に反対する人々の標的になってしまった。女性差別がある国で女性が自由に決断することは、まだ危険が大きすぎるのだ。やはり、人権問題は早急に解決すべき課題だと言える。

しかし人権問題は解決するために多くの時間を必要とし、革新的な取り組みが必要だ。実際に日本は家制度を廃止にしたことで女性への差別は減ったが、まだ男尊女卑の意識はなくなってはいない。アフガニスタンは日本の例よりも慣習や宗教が絡み合っているため、人権問題を解決するには非常に困難なことだと思う。 だが、その一方で日本の例が示すように、一歩ずつでも変化を起こすことは可能だ。アフガニスタンの状況が厳しい中でさえ、彼女の勇気と決断はアフガニスタンや他の国の女性にとっても希望の光となったと思う。そして、女性の地位向上には国民全体が平等な人権を持つべきだという意識を広める努力が欠かせない。個々の行動や教育の充実が、変革を促進する大きな力となるだろう。

私は、南さんとアフガニスタン難民の女性のお話から、戦争や女性の権利に関する問題に目を向ける機会を得ることができた。またお二人の経験は、国際社会が共に協力してより平等な世界を築くための重要な教訓であると言える。加えて、現在進行中のロシアとウクライナの戦争やイスラエルとパレスチナ戦争を、日本に住む私たちは他人事だと思わず、戦争の経緯や状況を知ることは大事だと思った。確かに戦争のニュースを見ても現地の状況は変わらず、自分に関係ないと思う気持ちも理解できる。しかし自分が生きている今、どんなに大変なことが起こっているのか、「知ること」しかできない私たちにとって最低限の情報収集は必要であると思う。そして、私はこれからも国際的な出来事に関心を持ちつつ、平和への願いを忘れずに行動し続けたいと思った。

ネットボール日本代表(ヤングツバキジャパン)からの感想

高校2年  余宮ひかり

一日中アクティビティが盛りだくさんで楽しかったです。バレーボールで色々な人と仲良くなれて、さらにネットボールも色々な人に広められて嬉しかったです!また、お昼休み後のベトナムからの脱出のお話もムスリムの方のオリンピックのお話もどちらも興味深く、人権問題に関する知識が深まりました。また機会があれば参加させていただきたいと思います。ありがとうございました!

大学1年生 名前:櫻井萌名実(もなみ)

私は元々イギリスでネットボールをやっており最近再開した形となります。そんな中で今回のアジアスポーツフェスに参加させていただき、改めてスポーツの力や楽しさを知るとても良い経験となりました。難民の方と接するのは初めてのことでしたがとてもフレンドリーで、特に同じグループにいた方と仲良くなれて嬉しかったです。元難民の方による実際の経験もお話しいただき、その過酷さに衝撃を受けるとともに忘れられないお話となりました。改めて、とても貴重な経験となり参加できたことを嬉しく思います。

共愛学園前橋国際大学2年 大澤ことみ

私はアジアスポーツフェスタに初めて参加しましたが、難民や元難民の方と一緒にスポーツをしてみて、彼らの積極的で熱心な様子に感心させられることばかりでした。難民の方と母語は違いますが、彼らが熱心に日本語で話しかけてくれる姿を見て、私も彼らとコミュニケーションを取りたいと思い、簡単な日本語を使用したり、ジェスチャーを使ったりし、仲を深めることができました。スポーツという機会を通して、難民や元難民の方と交流できたことに楽しく、そして嬉しく感じました。

サポートをしてくれた大学バレー部メンバーからの感想

スポーツを通して外国の文化に触れる       東海大学 長澤 わかな

 今回、昨年に引き続きアジアスポーツフェスタに参加させていただき、私は日常生活の中で外国の方々と関わる機会がほとんどないため、とても貴重な経験をさせていただきました。昨年、お世話になった方も自分達のことを覚えていてくださり、変わらず話しかけてくださった時はとても嬉しかったです。このような機会がないと出会うことがなかったと思うと、人との縁は不思議で素敵なものだと感じました。午前中は準備体操を兼ねてキューバダンスを行い、その後、チームに分かれてバレーボールの試合を行いました。初めて行ったキューバダンスではリズムに乗って体を動かし、体だけでなく心もほぐれ、お互いの距離も一気に縮まったと感じます。また、バレーボール大会では勝敗に関わらず一生懸命な姿や声を掛け合う姿を一緒にプレーしながら見て、スポーツには欠かせないチームメイトや対戦相手をリスペクトする気持ちと共に、バレーボールは楽しいということを改めて感じることができました。スポーツは国籍や言語、文化や年齢、性別が違っても「する」「見る」「支える」という様々な側面からでも楽しむことができることを本当の意味で理解できた時間だったと感じます。

 昼食はベトナム弁当を頂きました。初めてベトナム料理を食べましたが、日本食とは違った味付けでとても美味しかったです。新たな味を知ることができて、また食べたいと思いました。

 午後の最初は「ボートピープル」の難民についてのお話を聞きました。何十万人の人がボートに乗って命がけで海を渡ったという話は、想像以上に過酷で信じ難い内容でした。現在、自分が生活している当たり前はとても幸せなことなんだと感じることができました。

 その後のネットボールは初めて聞いて、初めて見るスポーツでした。説明を受けた後、実際に試合形式をやらせていただきましたが、ドリブルをしないバスケットボールのようなスポーツで、いかに相手にボールを取られず仲間同士でパスを繋げるかが鍵となるため、チームメイトと声を掛け合い、協力し合い、チームワークを高めることができました。最後に行った障害物リレーでは全員が全力で走って、全力でお互いを応援している姿を見て、純粋にスポーツを楽しんでいる空間でスポーツの良さに触れることができたと感じます。

 今回、このような素敵な企画に参加させていただき、スポーツを通じて沢山の方と交流することができました。スポーツは国籍や年齢、性別を越えて人を繋げてくれるものだと今回の経験を通して実感しました。また、運営やサポートをしてくださった方に感謝したいと思います。この経験を活かして今後の人生をより良いものにしていきます。貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。

 

 

 

   

フリバ・ラザイーからのコメント

ご協賛企業とご提供賞品のご紹介

株式会社ダスキン様  

     

      

        合同会社PRISM様                                       

    <BSJapanext 9時ゴル番組制作会社>

 

      

国土防災技術株式会社様   

賞品ご提供一覧


ミズノ様      スポーツタオル 100枚 

サントリー様    水 200本 

味の素様      スープ他 168個 

丸加食品様     焼きそばアラカルト

旭化成様      もろもろ200個 

全農様       飲料、グミなど

キッコーマン様   生醤油 豆乳 3ケース(約200本)

オタフクソース様  ソース 200本 こだわりセット 200個

ゴーゴーカレー様  70個

テンシャル様    マスク 200枚

スカイツリー様   無料入場券 20人分

日本バレーボール協会様 ジャージ等

ネットボール協会様  ボール、ツバキちゃん缶バッチ、ツバキちゃんファイル

横浜市スポーツ協会様 アクアエリアス 48本、森永乳業 プロテイン生活 156個 

久光製薬リフレッシュボディシート約150本

奥本浩平様 携帯ラジオ1

矢野広美様 自家製無農薬サツマイモ 

カルティベータ 女性スポーツ勉強会無料ご招待券50枚 一枚2500円相当

宮嶋泰子 ジャパンジャージ上下中揃え ドイツチョコ 全国百貨店共通商品券1万円

アジアスポーツフェスタの目的と歴史について

【目的】

難民や元難民にとってのこのイベントの目的は、日本の若者と理解し合う機会をスポーツを通して持つことが一つ。さらに、五輪のメダリストたちと触れ合う中で、自分たちが日本の社会の中で認められているという自己肯定感を持ってほしいという期待がある。

 国によってはベトナムとカンボジアのように互いに銃口を突き付け合った関係もあり、最初はわだかまりを持つ者もいたが、スポーツによる交流で互いに理解しあいながら、新たな関係性を築いていくことも目的の一つである。

日本の若者にとっては、戦争によって国を出ていかざるを得ない難民の存在を知ることや、今でも世界のどこかで難民が生まれていることを知り、一人の人間として相手を理解しようと努めることをスポーツを通して学ぶことが目的の一つである。これまで参加してきた高校生の中には、将来UNHCR国連難民高等弁務官事務所で仕事をしたいと発言する者もいた。書物やネットによる情報だけでなく、リアルな声を聴ける機会でもある。

OECDの「学びの羅針盤」にある通り、生徒、学生が多様な価値観にふれ、多文化共生の社会を体感し、自発的、自主的に活動することのできる力をつけることも期待される。

【来歴】

 アジアスポーツフェスタは2008年に横浜国際高校が設立された年に始まった。当初はNPO法人バレーボールモントリオール会(1976年モントリオール五輪女子バレーボール金メダリストと当時のジャーナリストが作った会)が、海外での難民支援の他に、国内でできる難民支援をしたいと始まった。このNPOの理事であった宮嶋泰子が横浜国際高校初代校長の羽入田眞一氏とともに横浜国際高校の前身である外語高校の出身であり、学年が一年違いだったことから、アジアスポーツフェスタの共催を打診し、受け入れて頂いた。

 神奈川県は都道府県の中で最も難民が多い県でもあった。それは1970年代からのボートピープルなどのために、難民支援センターなどの教育機関が大和市に作られたことに由来する。今でも横浜市のいちょう団地、藤沢市、平塚市、大和市には多くの難民や元難民が住んでいる。

アジアスポーツフェスタには過去、多くのアスリートがゲストとしてやってきた。瀬古利彦とジュマ・イカンガーも一緒にバレーボールを楽しんだ。女子サッカーなでしこの代表宮本ともみや男子サッカーのプロ選手も参加してくれた。体育教員だった橋本一光教諭の元、テニス部やボランティア部を中心に毎回50人近い生徒がサポートスタッフとして参加してくれていた。

交流はスポーツだけではなく、料理でも行われた。ベトナム料理の時もあれば、ラオス料理理、カンボジア料理など、腕に覚えのある難民から直接指導を受けて横浜国際高校の生徒の保護者たちが料理を作り、参加者にふるまった。特に高校生などは初めて味わうアジア料理の旨さに驚きの舌鼓を打ったものだ。国への偏見は舌からなくなっていく。

筑波大学大学院スポーツ社会学の菊幸一教授は「アスリートが行う社会貢献活動としてはこれまでの中でも最も高く評価できる。オリンピアンの価値というのはこういうところにこそある」とアジアスポーツフェスタについて記してくださっている。

また、2016年のリオデジャネイロオリンピックから難民選手団の受け入れをしたIOC国際オリンピック委員会のバッハ会長は、東京オリンピックの前に「日本で難民ためにスポーツは行われているのか」と組織委員会トップに質問している。このアジアスポーツフェスタこそが日本で唯一の難民のためのスポーツイベントとして行われてきたと言える。

過去、台風で中止になった時やコロナ禍で3年間行われなかったこともあるが、2022年には、規制はあったものの、12回目のイベントを無事実施することができた。NPO法人バレーボールモントリオール会が解散したこともあり、これまで実質的に作業をしてきた宮嶋が代表理事を務める一般社団法人カルティベータが受け継ぎ主催することとなった。

 2022年はまだコロナ明けということで、参加者とサポータは全員PCR検査または抗原検査を行って体育館に入ることを徹底した。これまでの常連参加者が住む団地でコロナのクラスターが発生したこともあり、例年の4分の一程度の参加者だったが、久々に会う喜びで体育館には明るい声が響いていた。

またウクライナへのロシアの侵攻が始まり、ウクライナから日本に逃れてきた新体操の振付師、バレリア・ツジさんが、紛争の中での恐怖や逃げる時の心境などを、生徒や学生を前に語ってくれたのは大変貴重だった。

13回目のイベントになる2023年は、難民申請を行っている若者やカンボジアから初めての参加者など、これまでとは異なる顔ぶれが見られた。新たな参加者が増えたことはとても良いことだと感じている。ただ、情報の不徹底から、室内履きを持参してこなかった者もおり、今後は新たに来る人たちに対する情報の徹底を意識する必要がありそうだ。

毎回、賞品を提供してくださる方々も途絶えることなく現在まで続いている。多くの方のご協力を得ながら、このイベントが「国を超えて人を理解するスポーツイベント」であり続けるように願っている。     

  文責 カルティベータ代表理事 宮嶋泰子

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