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2025.03.16

2024パリ五輪男子体操団体金メダリスト杉野正尭が語る「体操を極めるとは」

杉野正尭×宮嶋泰子@鹿屋体育大学

現在アキレス腱断裂でリハビリ中の杉野正尭選手ですが、怪我の前にじっくりお話を伺いました。

2025-01-13 

宮嶋:改めてご紹介いたします。パリオリンピック体操団体金メダル。今映像が後ろのプロジェクターに出ていますが、嬉しそうな顔してますねえ。杉野正尭さんです。(拍手)
そのお話に入る前に、この場所に以前入ったことがある人はどのくらいいらっしゃいますか。これが初めての人。わぁ~かなりいらっしゃいますね。これがね、世界に誇る鹿屋体育大学が誇るSportec スポーツパフォーマンス リサーチ センターです。スポーツの動きを分析するシステムがそろっている場所です。

ちょっと見てください。あそこにね、フォースプレートというもののがあるんだけど、ここを陸上競技の短距離選手が全力で50メートルを走る。すると、脚の力のかかり方やフォームが分析できるんですね。こんな長いのは世界にここしかない。世界唯一です。ねえ、杉野さん。

杉野:はい、そうです。僕も授業で何回か足を使わせていただいたんですけども、本当に世界一のシステムです。

宮嶋:陸上競技だけじゃないんですよ。そこにマウンドがありますね。野球のピッチャーの分析やバッターの分析もできるんです。天井に取り付けられているカメラがあって、さらに上部の手すりのところにたくさんのカメラがありますね。これでサッカーのフォーメーションなども分析できるんですよ。杉野さん、本当にこういう恵まれた施設のある素晴らしい学校を出て、よかったですね。今、改めてこう帰ってきてどうですか

杉野:本当に僕にとっては、この5年という鹿屋体育大学での時間がなければ、金メダルというものは近づいてこなかったなというのを、改めて感じることができますね。空港に降りて鹿屋に向かっていく時間というのも、すごい心温まるというか、ほっとするという気持ちになりながら、今日は帰ってきました。



宮嶋:鹿屋の5年間がなかったら、金メダル取れてなかったかなっておっしゃいましたけれど、もうちょっと具体的に言うとどういうことでしょうか。

杉野:そうですよね。全力で取り組めたというか、そういった環境もそうですし、あとは恵まれた仲間たち、そして指導者の方々、そして学内の先生方々から、本当に温かいサポートをいただいて、体操競技というものに全力を注げた、そういった時間を作っていただいたというのが、鹿屋体育大学の素晴らしいところだと思っています。そして、鹿屋市にいる方々が、あたたかいんですね。街に出たり、いろんな方々が声をかけられていると、そういった部分でもまた頑張ろうと思えるんですね。本当に皆さんに感謝の気持ちしかありません。今ちょっこの金メダル、持ってきたんですけれど。

拍手が起きる)

宮嶋:おっしゃった感謝という言葉なんですけど。本当に没頭してできたってことですか?

杉野:そうですね。ずっと練習してました。大学で。大学の授業があるときは、夕方から練習なんですけども、授業の空きコマとかを見ながら、この時間で練習できると思って、お昼とか練習やって、また夕方に練習するみたいな、時間さえあれば体育館に行って練習するっていうのをやってました。隙間練習。隙間練習です。授業の間に。

宮嶋:隙間練習ですか。いい言葉ですねえ。体操の体育館は、向こうの棟の2階にあるんですよね。体操に対する考え方は大学時代に変わりましたか。

杉野:いや、もう相当変わりましたね。やはり、以前は、こういうことをやりなさい、と言われた練習をしていたんですね。練習時間も長かったかは長かったんですけど、でもこの鹿屋体育大学の体操部では自分たちで練習をするっていう、自立して自分で練習メニューを組んでやるっていうことをやっていたんですね。大学時代にそうした練習をやったおかげで、自分がじゃあ何をやらないといけないのかとか、自分は何が得意で何が苦手かとか、じゃあ苦手な部分をどうやってしたら得意にできるのかな、逆に得意な部分をもっと得意にするためにはどうした方がいいのかなっていうのを自分自身ですごく考えるようになったんですね。今までは高校時代は、練習中しか体操のことを考えていなかったんですけど、大学入ってから24時間ずっと体操のことを考えていました。頭の中でああいうような技をどうやってやるんだろう、イメージしながら生活していました。練習していないところでも体操っていうところが頭から離れなかったですね。

宮嶋:体操が中心になったんですね、考え方的に。体操漬けですね。体操中心に生活が回ってる。

杉野:そうですよ。本当体操中心に回ってるので、休みの日とかも、次の日、体が動きやすくなるためにとか、調子よくするために、じゃあこの休みの日何しようかなとか、ちょっと体疲れてるんだったらお湯に浸かろうかなとか、みたいな。本当体操が上手くなるためにっていうところがこの中心にあって、どんどん組み立てていく生活スタイル。

宮嶋:よかったですね。これがね、都会の体育大学なんか行っちゃったら、遊ぶところいっぱいあって誘惑に負けていたかもしれませんよ。鹿屋に来てよかったですねえ。

杉野:本当に鹿屋は競技に集中できるところですからね。素晴らしいところだと思います、僕は好きですよ、本当に。いいですよ。本当に大学生の一番遊びたい時期に競技に集中できる環境というのがそもそもこの鹿屋はすごくて、空港に行くまでに1時間半以上かかるわけですから、逃げられない。(笑) でも本当に最寄り駅も遠いですね。でも思い返しても、逃げられないという感覚はなかったんです。体操を僕自身上手くなりたかったので、本当に絶好のタイミングじゃないですか。集中するんだ、体操を強くなるんだという思いを常に持ちながら、学生時代は苦労していました。

宮嶋:ただね、もちろんこんな風に今は言ってますけど、金メダル獲ったからね、全部OKなんだけど、本当は2020年、2021年はめちゃくちゃ悔しい思いをしてたんじゃないですか?

杉野:そうなんですね。前回のオリンピックが、東京オリンピック2021年にあったんですけど、その時は僕、鹿屋体育大学の大学院1年目でした。コロナで1年延期したので、大学院1年目で選考会がスタートして、選考会の体操は、その2021年の年の4月と5月と6月っていう、この3ヶ月にわたって選考会を行っていくんですけども、5月終了時点で、僕、代表候補圏内に入っていたんですけど、6月の大会の時に、ライバルの選手が怒涛の追い上げをして、僕とそのライバルの選手がひっくり返っちゃったんです。6月の選考会。僕はもう5月の時点で絶対、絶対に行くんだっていう強い気持ちを持って6月に臨んだんですけども、それが叶わず本当に悔しい思いしましたし、なんか手にかかったものが急にバーンと落とされたみたいな、そういう感覚があってですね、相当悔しい思いをして2021年を終えたんですけども、そこからまだこの悔しい思いは続きまして、2022年も代表の補欠選手、2023年も代表に入るって言われてたのに、そこにすらもかからない、周りからの期待値はすごい大きかったんですけど、自分が失敗とか重なってしまって行けない。行ける行けるって周りから言われてるけど、実際にふた開けてみたら行けてないっていうのが2021、2022、2023年と3年間続きまして、本当に悔しい思いをしています。

宮嶋:杉野さんの体操を皆さん見たことありますか。すごくダイナミックで大きくて、鉄棒もいいですね、パワフルでね。で、それから何と言ってもあん馬はね、あん馬は日本一かな。

杉野:そうですね、今年は0.033点差で負けちゃったんですけど、それまでは、去年までは2連覇してましたね、日本で。

宮嶋:だからもう絶対的には自信持ってるわけですよ。で、ダイナミックだし。だけど、あ、どうしたのっていうような、ちょっとしたミスとかね、大事なところでするようになりましたね。あれは今思い起こすと何だったんでしょう。

杉野:2021年のオリンピックの代表選公開で、あと一歩のところで行けなくなって、すごい悔しい思いをして。で、自分だったら絶対行けるんだっていう思いを持ちながら、2022年、2023年の代表選考会を行っていたんですね。逆に、そういった強い気持ちが、 少し自分を自分で首を絞めていたというか、自分自身に大きなプレッシャーをかけていたのかなというのが、今、振り返れば思いました。もうちょっとこう、なんていうんですかね、 客観的にもっと自分自身のことを冷静に見ながら、じゃあ代表になるためには何をするっていうことを冷静に判断するっていうことが すごく重要だったのかなっていうのは、 今、振り返っていますね。

宮嶋:ということは、東京オリンピックで失敗して、 その後も、あれ?どうしたんだろうっていうことは、少し慢心があったの?

杉野:慢心というより、手がかかった代表を、今度は絶対に自分が手繰り寄せるんだっていう強い気持ち。そういう気持ちが。強すぎた。

宮嶋:気持ちが先走ってた。ハートは熱く頭はクールというのが必要なのにね。頭がクールじゃなかったの?

杉野:そうなんですよ。頭も燃え上がってた。自分の体の変化とか、あとは調子の波。本当に絶対に調子の波はあるので、この波を冷静に判断できてなかった というところがありますね。

宮嶋:よく体操競技やアーティスティックスイミングのようなパフォーマンス系のアスリートが 言うんですけれども、いくつもの引き出しを持ってるんことが大切と言いますね。ちょっと調子が悪い、今日は、なんだか足が重いなっていう時には、じゃあこうやってカバーしようとか、ちょっと回転が今日は重いなっていう時には、ここでカバーしようとか、引き出しにたくさんの対応策を持っていて、今日はどこの引き出しからあれを出したらいいかな みたいな選択が大切だと言いますね。冷静な頭で考えなきゃいけないのね。

杉野:そうですね、やはり体操競技は,やっぱり常に再現性を求められている競技なんです。再現性というのは、同じようにパフォーマンスを行うこと。同じように、どんな体の状況、熱あっても、寝起きで眠たくても、どんな状況でも同じことを同じようにやらないといけないというのが体操競技なんですけど、だからこそ、自分の体の変化というのはすごく敏感に感じていて、雨降ったりする時とか、台風起走の時とか、気圧が変わるじゃないですか、この変化ってすごい敏感に感じているんですよ。体痛くなっちゃったりとか、あと頭痛くなっちゃったりとか、みたいな、体の変化っていうのを本当にすごく自分自身を冷静に見ているので、そういった体の変化に応じた、技のやり方とか、演技のやり方っていうのが一つじゃなくて

宮嶋:引き出しをいっぱい持ってるわけね。

杉野:いっぱいあるので、この体の状況の時にはこれを使おう、これとこれを使おうというところもありますし、逆に体の調子がいい時でもこれを使おう、自分がこの技のやり方とかこの演技のやり方が一個だけじゃないよっていうのを自分自身思いながら、じゃあ一個だけじゃないなら、何百個も何千個も作って、どんな状況でも対応できるようにするということを練習で行ってやってきた結果、2020年はそれなりに代表選考会を送ることができましたし、パリオリンピックでは団体戦だけですけど、団体予選決勝と3種目ずつでどうですけども、ミスなく演技することができました。

宮嶋:ねえ、見事です。さすがですね。素晴らしいです。でもどうですか、あのパリオリンピックの団体決勝の時、さっき画像が出てましたけど、夜中のあれ2時か3時かそのぐらいかしら、ライブで中継を見てた人いらっしゃいますか?おー、みんな見てるわね、さすがですね。あれドキドキしましたよね、圧倒的に中国がリードしながら、中国の選手が自滅するように、あー落下した。これ中国に帰ったら叩かれるんだろうなって見ながら心配してしまったけれど、あれはどういうふうに見てました?

杉野:最後、気持ちの部分だったのかなって思いますね。やっぱり金メダル取りたいっていう思いが強ければ強いほど、それは叶うと思ってて、中国選手と日本選手を比べて、僕は、中国選手より日本選手の方が圧倒的に金メダル獲りたいって思いが強かったのが、最後ああいう結果になったのかなって思いましたね。

宮嶋:私は、選手の気持ちはわからないけれど、観ていると、なんか中国選手は、途中でちょっと糸が緩んじゃったのかなっていう気がした。緊張の糸みたいなものが、ずーっと引っ張ってきたものが緩んだのかなと。

杉野:そうですね。皆さん、見ていただいた方はよりわかると思いますけど、平行棒が終わって、最終種目絶望の前に、日本と中国が3.5点以上に差があったんですね。この3.5点っていうのは、いわば絶望的な。普通はもう日本は完全に負けという点差です。普通。絶望的で、中国選手もそれもわかるので、自分が勝った雰囲気は多少あったのかなっていう、同じ会場の中にいて、ちょっとなんていうんですかね、試合中でしたけれど、中国選手には笑みが出てましたからね。まあ突き込める隙はあるなとか、そこは冷静に判断しながらやりました。僕は鉄棒の一番手で、その一番手を任せられるときに、僕の演技でメダル色が変わったらって思ったら、すごいゾッとしちゃって。


宮嶋:あ、そう。そんなことを思って鉄棒にかかったわけ?


杉野:そうですね。その思いを持ちながら鉄棒に向かっていったんですけども、でも最終的にはプラスに考えはあったんです。自分の失敗で、もしかしたらメダルの色が変わるかもしれない、自分の演技で変わるかもしれないって思ったんですけど、じゃあ完璧な演技を自分がやれば、もしかしたら何かが起きるかもしれないし、最後の最後で何が起きるか分からないのが体操競技だって思いながら演技をやったんです。本当にね、これは人生も言えることですけど、体操競技の団体ってどこで何があるかわかんないんですよ。

宮嶋:あれはね、そう、モントリオールオリンピック。1976年ですね。ソビエトがもう優勝に手をかけていた。日本はこれはもうダメかなと思ってたら、ソビエトのエースだったアンドリアルフさんが着地で尻餅ついてくださって、日本が優勝したということがあったんですね。そういうこともあったのね。


杉野:本当に何が人生あるかわかんないなっていうね、ですよね。いやもう本当に、より感じます。すごいベタだったと思うんですけど、諦めなければ叶うんだっていうのをすごく。見てる方もほぼほぼ諦めてたんじゃないのかなって。

宮嶋:日本は銀メダル。ダメだこりゃと思った人は多かったと思うわ。

杉野:もう平行棒も終わって、最後に鉄棒になる時に、銀メダルももしかしたら怪しいな、アメリカが追い上げてきてるし、これメダル色どうなるんだろう、銀か銅かな、みたいな雰囲気だったと思うんですけど、中にいる選手はみんな金メダルっていうものに向かってやってたって。それが結果として、金メダル獲れたというか。すごいベタ、めっちゃベタ。諦めなければ夢は叶う、だと。なんか漫画でもありましたね。諦めたらそこで試合終了ですよ、っていうような。


宮嶋:そういうね、諦めないっていう気持ちというのは、日頃から鍛えられるものですか?どうしてらしたの?

杉野:そうですね。諦めない、忍耐力みたいなものに近いと思うんですけど、体操競技は、やっぱり先ほども言った再現性、いつどんな時でもどんな状況でも 同じことができるようにしていくっていうことを練習で常にやってるんですよ。だから、すごい苦しいことが多いんですけど、なんでできないんだろうとか。でも、体操競技って本当に、できないをできるようにしていく。できないことをできるようにしていくっていうことが、体操競技の一番の魅力だと思います。そう考えると、できないのは当たり前なんだから、できるように自分は何をすればいいんだろうとか、できるためにこういうことを試してみよう、みたいなのを毎日やってますからね。できるようにしていく作業をするだけなんで、できると思っちゃうとできないってことに対してのすごいイライラとかストレスとか溜まっちゃうんですけど、そもそもできないっていう思いを持つっていうことが、忍耐力とか何かを成し遂げるために必要な力なのかなっていうふうには僕は思っています。

宮嶋:あと話聞いてると、できたときのイメージを頭の中に持って、それに到達するためにはどこをどうやっていくのかなっていう工夫が楽しいんじゃない?

杉野:楽しいですね。ここも楽しいんですけど、あくまでもイメージ像なんで、もともとはできてない自分がいて、そのイメージ像に近づけるために練習を進んでいくわけだし、物事を進めていくっていう。その作業が楽しいですよね。ああ。これやってもまだできてないのか、みたいな。まだまだ、その、まあ手段はいっぱいあると思うので、その手段を一個ずつ潰していくみたいな。その作業がすごい楽しいというか、面白いなって思っちゃいます。

宮嶋:そうなのよね。金メダルを獲れた人って、そのプロセスにおいて、自分の楽しさをものすごい味わってる人よね。

杉野:そうですね。

宮嶋:うん、本当にそう思う。金メダル獲るのが楽しいんじゃないの。やっぱりその、結果的に金メダルが獲れたということであって、そのプロセスで体操競技に向かい合って、どうやって日々を過ごしていくかっていう、その毎日、1時間1時間が楽しいんですよね。

杉野:そうですね。その毎日が楽しいですし、なんか僕、金メダル、小さい頃ですけど、金メダリストって何でもできると思ってたんですよ。あの、本当に。何でもできる、何でも完璧に100%できるって小さい頃やっぱり憧れるんで、憧れる人ってそういう風にいるじゃないですか。そういう思いがあったんですけど、いざ自分が金メダル獲った時に、僕、できないこと、まだまだあるんですよ。本当に、できないことだらけだとか、できることの方がまだ少ないとか。そういった感覚がすごく強くて、金メダル獲ってもまだできないことがあるっていうのがすごい面白いなと。より体操の魅力じゃないですけど、このできないこと、じゃあどうやってできるようにしていこうって考えたりとか、金メダル獲ってもそういうことがあるんだっていう発見ですよね。というところが僕はすごく面白いなと感じましたね。

宮嶋:ちなみに杉野さんのお名前ですけれど、漢字ではマサアキって書くんだけど、タカアキって読むのよね。

杉野:はい、そうです。正しいっていうのをタカって読むんですけどね。

宮嶋:杉野正尭さんは本当にあん馬が上手なので、これ以上高難度のことをやるの難しいよねっていうぐらい難しいことをやって、自信を持ってオリンピックのあん馬の種目別に残りました。メダルを狙うと言っていましたが、実際に種目別決勝に残ってどうでした?

杉野:いや、世界は強すぎましたね。世界のレベルが高すぎて、僕の演技もほぼ完璧な演技をしたんですよね。でも結果として6番だったかな。メダルにすら届かない。

宮嶋:でもそこで感じたのは?

杉野:世界との差が自分にもっとあって。自分が世界と戦うためにはじゃあ何が必要なのかっていうのを肌で感じたというか、じゃあこういうことをやろう、こういうことをやろう、こういうことをやろうっていうのを本当に日本に帰ってきたからすぐ実践したりもして、今まではやっぱり対日本だったんですよね、国内だったけど、世界のトップが集まった種目別で、それを見て本当に対世界、僕が金メダル取るためにじゃあ何をするかっていうところがより明確になったというか、そこの思いはね、パリで感じました。

宮嶋:で、今新しい改良の技にどんどん挑んでいるそうです。これがやっぱり私金メダリストです。私金メダリストの心なんだなと思いますよね。ここが真髄だと思う。自分より強いものとかすごいなと思ったものを見つけたらそこに向かっていくんですよね。

杉野:そうですね。改良に改良を重ね、より自分の演技を良くしていくっていう。本当になんか、中学校、高校くらいまではできない技ができるようになった喜びっていうのがあるんですけど、今、僕の世代とか体操界ではもうすぐメテランの域に入ってますけど、年齢的には。ここまでくると、新しい技っていうものがあんまりないというか、ほとんどやったし、新しい技をやるっていうこともできる喜びじゃなくて、動きの改良が楽しみじゃないですか。あー。もう、動きで、これ昨日よりきれいな動きできたみたいな。

宮嶋:だんだん内村航平さんと似てきた。似てきたねえ。

杉野:そういった、僕の素晴らしさじゃないですけど、本当に歩き方一つなんですよ。あっ。あの、皆さん、朝、今起きて、朝の起き方とか、昨日よりきれいに起きれたとか、それに喜びを感じているみたいな感じです。

宮嶋:じゃあ最後にね、今日参加している小中学生に向けて、何かメッセージがあったらお願いします。

杉野:はい、子どもたちも来ていただいていますが、僕はなんか、やりたいこととか、楽しいこととか、自分が興味あることに対して、全力で向かっていってほしいなと。僕はなんかそういった気持ちを子どもたちに伝えたいなと思いますし、何か好きなこととか、やりたいこととか、何でもいいと思います。全力で、燃え上がりながら、やってほしいなと。それが結果として、将来、何かに繋がるかもしれないし、繋がらなかったとしても、その頑張って向かっていった経験というのは、絶対自分の財産になると思うんで、その経験って絶対消えないし、その経験値が、これからの自分の力になると思うんで、本当に好きなことやりたいこと、何でもいいと思います。全力で進んでいってほしいなと。全力でがむしゃらにやっていってほしいなと。僕はそういう人たちのこと大好きです。

宮嶋:素晴らしい。ありがとうございました。皆さん、拍手を送ってください。どうぞどうぞ。今回この催しは、鹿屋市がスポーツ実施率、日本一を目指そうという宣言イベントなんですけれど、ここにご参加の皆さん、ご自分の身体のことを少し意識するようにしましょう。朝起きるとき、美しく起きましょう。そして美しく歩きましょう。なんかそういう自分自身の身体に対する眼差し、これがね、すごく大切だと思うんです。最近の人は自分の身体のことを忘れているの、みんな頭でっかちになって、体をどう動かすかはほとんど考えない。歩くときには手と腕はこんな風に動いているなとかね、首を動かすと背骨も動くとかね、ほとんど意識しませんよね。朝美しく起きる。これほんといいテーマですね。朝美しく起きて、美しくベッドから降りる。これを毎日やってみると、しんどい時は美しく起きれない、ってなると、しんどい時にはできないんだって新たな発見がある。そして、じゃあしんどい時にできるようにするためにどうしたらいいんだろう、みたいな。そんな感じじゃないですか。杉野さんが実行されていることはその延長線上にあるんでしょうね。それが楽しくて仕方がないというのが杉野さんなんですね。ということで、杉野さんの体操の真髄を今日教えていただきました。

皆さん、ありがとうございました。ご参加ありがとうございました。

杉野正尭

出身三重県身長/体重170cm / 60kg血液型O型体操開始年齢6歳所属歴

  • 久居体操クラブ
  • 東観中学校
  • 鯖江高校
  • 鹿屋体育大学
  • 鹿屋体育大学大学院
  • 徳洲会

得意種目あん馬、鉄棒ナショナル入り2017年

宮嶋泰子

スポーツ文化ジャーナリスト 早稲田大学フランス文学科卒業、 テレビ朝日にアナウンサーとして入社、ニュースステーション、報道ステーションのスポーツ特集のディレクター兼リポーター。2020年に独立して一般社団法人カルティベータを立ち上げ代表理事となる。(公益財団法人)かめのり財団理事長

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