知らなかった!人見絹枝が死ぬ間際まで求め続けた課題とは?
人見絹枝が死ぬ間際まで考え続けた課題とは何か?「不滅のランナー人見絹枝」の執筆者田中良子さんの言葉を拾う。
1928年女性の陸上競技参加が正式に認められたアムステルダム五輪で日本女性として初めてメダリストとなった人見絹枝。メダル獲得から2年後に24歳の若さで急逝した人見が、死ぬ間際まで考え続けていたことがあった。その的確な分析と思考は、現代のスポーツ界にも求められるものと同じと言っても過言ではない。
2018年11月に東京ウイメンズプラザで行われた「女性スポーツ勉強会」にご登壇くださった田中良子さんの言葉を拾ってみた。田中さんはこの時「不滅のランナー人見絹枝」を上梓したばかりだった。かつて世界陸上競技連盟女子委員でもあり、東京女子マラソンの誕生にも大きく寄与され、その結果、1984年のロス五輪から女子マラソンが正式種目となった経緯もある。女性の陸上競技を長く見つめてこられた田中さんが語る言葉は貴重だ。
田中さんの研究の中には私たちが知りえなかった陸上競技普及のための人見の苦労や、欧米や日本に与えた影響の大きさなども記されており、これまでほとんど知られてこなかった大変有意義なものが多く含まれている。 ご自身の日本陸上競技連盟の中での経験も語られ、ジェンダーギャップの大きいスポーツ団体の様子がわかって興味深い。
編集 作業日 2020年12月11日
担当: 宮嶋泰子