東京2020オリ・パラのもやもや感はどこから来ているのか。JOC山下泰裕会長へのロングインタビュー①~⑤を終えて。
コロナ拡大とオリ・パラ開催の是非
今年も師走となり、東京の夏のオリンピックとパラリンピックを自分なりに総括してみたいと思います。
個人的には1980年のモスクワオリンピックから2018年の平昌冬季オリンピックまで合計19回のオリンピックの現地取材をしてきただけに、スポーツの持つ力や魅力がオリンピックという舞台でどのように人々の心を刺激するかは十分にわかっているつもりです。
オリンピックはまさにスポーツの祭典です。
しかし、新型コロナウイルスが世界的に蔓延し、日本も感染状態がピークにあったこの夏に開催することにはどうしても自分自身を納得させることができませんでした。日本ではPCR検査は公的には行われず、ワクチン接種も製薬会社との契約の遅れから6月7月の段階では諸外国にかなりの後れを取っていました。このような状況の中、開催反対、又は延期を求める声が多く、両者を合わせると、約80%の国民が開催に同意していませんでした。
世界のメディアからも開催には厳しい声が聞かれました。4月の段階でニューヨークタイムズ紙はオリ・パラが「一大感染イベント」になる可能性を指摘。また5月にはワシントンポスしも開催中止を促す記事を出し、ロサンゼルスタイムズも同様の記事を掲載しました。
スポーツイベントは社会の中で行われるものです。社会がコロナウイルスのパンデミックに襲われている中で世界中から選手やコーチ、関係者が東京に集まってくるというのは危険極まりないことに思われました。開催すれば、オリンピックのお祭り気分に刺激されて人流も多くなり、日本国内のコロナパンデミックの拡大も予想され、その影響で病院の病床が満杯となり自宅待機を余儀なくされて亡くなっていく方も出てくる可能性がありました。
日本の三大新聞は東京2020オリ・パラのスポンサーとなっていましたが、朝日新聞は中止を求める記事を掲載。東京新聞も開催に批判的な記事を掲載し続けました。
しかし、大会は決行されました。
安心安全という言葉を旗印に行われたこのオリ・パラを「もやもや」とした気分で見つめていた人は少なくなかったと思います。テレビの放送でも、アスリートの活躍を応援したい気持ちの一方で、複雑な心境があることをコメンテーターやアナウンサーが「もやもや」という言葉で表現していたようです。
日本オリンピック委員会と国際オリンピック委員会の立ち位置を改めて知る
オリ・パラが終わって一息ついた9月30日、日本オリンピック委員会の山下泰裕会長にインタビューをする機会に恵まれました。山下会長とは1980年のモスクワオリンピック前からの付き合いということもあり、山下さんは胸襟を開いてご自分の体験や思いをお話くださいました。とてもありがたいことでした。
そこで改めて理解したことは、日本オリンピック委員会はトップアスリートを管轄し、オリンピックに送り出し、オリンピックでより良い成績を上げることを最大のミッションとしている団体ということです。山下会長の考えもあり、今ではパラリンピックやすそ野の拡大にも尽力するように変わってきているようですが、基本はアスリートを守るのが使命なのです。
山下会長自身がソビエトのアフガニスタン侵攻でモスクワオリンピックへの出場の道を断たれた経験者です。以前、「日本の不参加決定を聞いた夜は布団をかぶって嗚咽した」と言っていた山下さんは、今回もこのように答えていました。
「たとえ政府の決断であっても、二度とこのような思いを選手にさせないことが自分に与えられた使命であると選手時代に強く思った」と。
国際オリンピック委員会のバッハ会長もまたモスクワオリンピック不参加の波をもろにかぶった人物です。その前の1976年のモントリオールオリンピックのフェンシング競技、団体で金メダルを獲った時のメンバーだったバッハさんはモスクワでは個人のメダルを狙っていましたが、その夢が潰えました。
山下会長から伺う限り、バッハさんはアスリートを第一に考える方のようです。そしてボランティアを大切にして、何よりもオリンピックファミリーを守ることを使命としています。多くのアスリートにとって、オリンピックは人生一度限りの体験です。アスリートのために何が何でも大会を行うという姿勢はこうしたところから出ているのでしょう。
ぼったくり男爵、マネーを最優先にするのがバッハ会長というイメージがついてしまいましたが、オリンピックを開催することによって国際オリンピック委員会に入るテレビマネーなどの収入はそのほとんどが各国際競技団体や各国のオリンピック委員会などに分配されて行きます。世界のスポーツ界はそのお金で回っていると言っても過言ではありません。この資金がなければ世界のスポーツ界の動きは止まってしまうかもしれません。こうした点も斟酌して、バッハ会長としてはオリンピックは是が非でも行わなくてはならないイベントなのでしょう。
最終的に開催するかしないかを決定する権利をIOCは持っています。ですから、私は国際オリンピック委員会というのは、社会的な事情の中でオリンピックを開催するかしないかを判断する力ぐらいは持っているだろうと考えていました。ましてや本部がスイスのローザンヌにある組織です。欧州を襲っていたコロナの猛威を考えれば多くのメディアや要人がオリンピック中止を唱えていたのですから、そうした意見に耳を傾ける度量は持っていると信じていました。しかし、それは間違いだったようです。IOCの人々はオリンピックの開催ありきで物事を考えていく人たちのようです。
IOCもJOCも全世界の人口全体を考えればごくわずかな人数であるアスリートのことを第一に考える組織であることを今さらながら認識しました。
東京2020オリ・パラ組織委員会
続いては東京2020オリ・パラ組織委員会についてです。組織委員会というのは、その年でオリンピックを行うという契約を国際オリンピック委員会と結んだ実行部隊ですから、火山が爆発しようと台風が来ようと、決められた日時に向かって何があろうと遂行するのが役割なのです。これまたここには中止の判断をする機能は持ち合わせていません。
本来この組織委員会で東京2020オリ・パラの開催理念や目標などがしっかり決められるべきでしたが、電通が入り込み過ぎたせいでしょうか、オリンピズムへの理解がないまま、実に中途半端なものになってしまったように感じます。
残るは東京都と日本政府
日本国政府は与党自民党がこれまたオリンピックを国威発揚の手段と考えていましたから、国民の命が危険にさらされている中でもオリンピックを選びました。オリ・パラ後、10月に衆議院の総選挙を目論んでいた与党自民党としては、オリ・パラで政府への信頼を一気に高めて選挙になだれ込みたいと考えていたのでしょう。
今回は時期的に政府のコロナ対策が後手後手に回り、全世界が行っているPCR検査を公的機関で行わないという信じられない決断をした上に、さらにはワクチンは製薬会社との初期の契約の遅れから接種のスタートが大幅に遅れてしまう状況でした。それが6月7月のことですから、国民がこのような状況下でオリンピックを行うのはナンセンスであると感じたのも無理からぬことです。
そして、主催都市、東京都。オンラインで宇都宮健児弁護士が反対署名を35万筆集めて、5月に東京都知事あてに要望書を提出しています。この署名の賛同者は7月の段階で43万人になっているとのことでした。ところがこの要望書が完全に無視された形になっていたのです。何の検討もされずに放置された状態でした。宇都宮氏によれば「米国などでは政府当ての要望書が一定数超えたら必ず回答しなければならないとか、政府の広報やHPに掲載しなければいけないことになっています。同じことはソウル市でもやっています」とのこと。(引用;https://news.yahoo.co.jp/articles/34e211512e6db277833d19f817bfe5947e7591e6)
オリ・パラ開催を直前に控えた7月15日、コロナ拡大で4度目緊急事態宣言が出された東京都で、宇都宮健児氏は記者会見を開きました。IOCのバッハ会長、東京都の小池百合子知事、菅義偉首相、丸川五輪担当相、橋本聖子大会組織委員会会長らにも署名を提出したことを明らかにしました。しかし、その要望が検討されることはありませんでした。
かつて、1976年の冬季オリンピックは米国のコロラド州デンバーで開催されることが1970年のIOC総会で決定していましたが、その後環境破壊などの問題で、住民の反対運動が起こり、1972年の住民投票で大会開催が返上された経緯があります。その代替で行われたのがインスブルックオリンピックでした。
時期的に、反故にするのは難しいという意見もあるかもしれませんが、世界的なコロナのパンデミックの最中ですので、こうした住民の意見がきちんと反映される仕組みがあるかないかというのも大事なことだと思います。
日本は第二次世界大戦でもそうでしたが、もう準備を始めてしまったから、もうやると決定したからという理由でずるずると戦争に突入していきました。どんな時でも、反対意見が検討されることの機会があまりにもなさすぎるように思います。今回の一連の動きの中で、改めて、組織の立ち位置、私たち日本人の思考やその癖、長いものに巻かれていくことを良しとする考え方に直面し、変えられるものは変えていかなければと思った次第です。
これから世界中が変わっていくと言われるVUCAの社会、Society5.0の社会に対応できる柔軟な国、日本であってほしいと願うばかりです。
(注:VUCAとは:Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguityの頭文字を取った造語で、社会やビジネスにとって、未来の予測が難しくなる状況のことを意味します。 この言葉は、自然環境や政治・国家、制度などの不確実さを示しています。)
山下泰裕会長への独占ロングインタビューはこちらからご覧いただけます。
山下泰裕JOC会長激白 全5回
①オリ・パラについて全部洗いざらい語ります!
②コロナとオリ・パラ
③JOCが変わる?
④バッハ氏について
⑤森喜朗氏について
以上 2021年12月4日
筆者:宮嶋泰子
スポーツ文化ジャーナリスト 元テレビ朝日スポーツコメンテーター (一社)カルティベータ代表理事
テレビ朝日にアナウンサーとして入社後、スポーツキャスターとして仕事をする傍ら、スポーツ中継の実況やリポート、 さらにはニュースステーションや報道ステーションのスポーツディレクター兼リポーターとして自ら取材し企画を制作し続けてきた。
1980年のモスクワ大会から平昌大会までオリンピックの現地取材は19回に上る。43年間にわたってスポーツを見つめる目は一貫して、勝敗のみにとらわれることなく、 スポーツ社会学の視点をベースとしたスポーツの意味や価値を考え続けるものであった。2016年には日本オリンピック委員会からの「女性スポーツ賞」を受賞。
1976年モントリオールオリンピック女子バレーボール金メダリストと共にNPOバレーボール・モントリオール会理事として、 日本に定住する難民を対象としたスポーツイベントを10年以上にわたり開催、さらには女性スポーツの勉強会を定期的に行い、 2018年度内閣府男女共同参画特別賞を受賞。
社外の仕事として文部科学省青少年中央教育審議会青少年スポーツ分科会委員や日本体育協会総合型地域スポーツクラブ育成委員会委員、 日本オリンピック委員会広報部会副部会長、日本障がい者スポーツ協会評議員他、多くの役職を務める。