宮嶋泰子、女性アスリートについて大いに語る。女性アスリート健康支援委員会の記事を転載(4)体操のチュソビチナは46歳で五輪出場 ~「日本は枠にはまり過ぎ」
体操のチュソビチナは46歳で五輪出場
~「日本は枠にはまり過ぎ」~―女性トップ選手の苦心・奮闘を密着取材 宮嶋泰子氏―(4)
テレビ朝日でアナウンサー、キャスター、ディレクターとしてスポーツ報道やニュース番組で活躍し、計19回の五輪現場取材を通じて多くの内外有力選手を密着取材してきた宮嶋泰子さん(一般社団法人カルティベータ代表理事)に、女性特有の悩みを抱えながらも世界の頂点を目指してトレーニングに励んだ女子トップ選手の知られざる苦心・奮闘ぶりを語っていただきました。スポーツドクターの先駆けとして長年活動され、国立スポーツ科学センター長なども歴任された「一般社団法人女性アスリート健康支援委員会」の川原貴会長にオブザーバーとして参加していただきました。
川原会長 2014年にこの女性アスリート健康支援委員会を立ち上げて、こういう女性の問題への解決策を普及しようと試み、少しは普及したのかなと思っていましたが、コロナ禍でその歩みがトーンダウンしたのは残念です。先般、北海道の婦人科の先生のインタビューをやりましたが、「北海道では指導者がそういうことを全然理解していない」と嘆いておりました。その方は、女性外来を一生懸命やろうとしており、スポーツ協会、医師会とかいろんな団体を巻き込んで女性アスリート健康サポート北海道という組織をつくったのですが、あまり理解してもらえず、「今まで努力しましたが、現場に普及していない」と残念がっていました。ただ、女性アスリートのトップレベルのところでは配慮されている面もあり、ある程度変わってきているのかもしれません。
2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の職員に着任した伊藤華英さん
「水泳の伊藤華英さんがやられている『1252プロジェクト』(1年間の52週のうち、約12週は生理による影響を感じる期間)の活動が知られてきて、こういうことを知っておく必要がある、というところまできています。でも、それを指導者が理解して、かつ女性の身体のいろんな周期に合わせてトレーニングメニューを考えていかなければいけないというところまで考える人は少ないと思います。それは、やはり中学、高校の先生がやらないといけないのですが、中学、高校ですと、特に私立だと競争ばかり求められる割には、そういうところまで手を回して研究し、理解している指導者は少ないですね」
川原会長 宮嶋さんも、いろいろ啓発の活動をされていますが。
「コロナ禍の前までは、女性スポーツ勉強会を年に3回ほど数年間にわたって開催しておりました。そこでは、毎回300人近い参加者が口々に『目から鱗(うろこ)が落ちた』と言っていらっしゃいました。男の人も女の人も『えっ、知らなかった』と、みなさんおっしゃいます。こうした活動を何度やっても、みんな『知らなかった』と言いますね」
女性アスリート健康支援委員会主催のシンポジウム(2020年2月)
―宮嶋さん、伊藤さんのような活動を地道に続けていかないと日本は変わらないのかもしれません。
「保護者が知らないことも問題です。保護者が子どもを育て、子どもがスポーツを始めたときに知っておかなければいけないことがたくさんあります。保護者だけでなく、子どもも知らないといけません。指導者には『生理がなくて当たり前』と言う人もいるし、『生理がなくてほっとする』と言う選手もいます。ちょっとおかしいと感じます」
川原会長 そういう意味では、実感として、まだまだ道は遠いですね。少しは変わったかなと思っていましたが、先ほどの北海道の先生と話していて、がっかりしました。もっと頑張らないといけないですね。
◇日本では少ない婦人科のスポーツドクター
「産婦人科は女性の先生が多いのですが、スポーツドクターの婦人科医となると全国でも100人くらいしかいません。この人数の少なさ、これは問題です」
川原会長 女性アスリート健康支援委員会の事務局を、幸い日本スポーツ協会さんがやってくれています。婦人科の枠を設けていただいて、婦人科の先生がスポーツドクターの資格を取得できるよう、今頑張っているところです。資格取得者が少ない県については、講習を受けるよう婦人科の先生に声をかけています。今後も頑張って継続していきます。
東京五輪・体操の女子予選に出場した後、ポーズを取るウズベキスタンのチュソビチナ AFP=時事
「やはり日本って、『これが当たり前』の枠にはまろうとし過ぎるのではないでしょうか。例えば体操女子のオクサナ・チュソビチナ選手ですが、2021年の東京五輪に出たのが46歳です。8回も五輪に出ています。最初はソ連の所属、バルセロナ五輪はEUNとして出場して金メダル。彼女は出産して息子さんが白血病になってしまい、その治療代を稼ぐためにドイツの国籍に変わりました。ドイツ代表としても種目別の跳馬で銀メダルを獲得しています。その後は生まれた国ウズベキスタンに戻ったので3回も国籍を変えています。チュソビチナがすごいなと思うのは、結婚して出産して国籍も変えながら、48歳で体操をやっていることです。体操は、どんなにやっても25歳ぐらいまでと言われています。ただ最近は体のケアとかが進み、休息もリカバリーもしっかりしているので少しずつ競技年齢が伸びていますが、40歳代後半でも五輪に出る、こういう発想ってすごいですね」
―日本では考えられないケースですね。
「日本は『こうあらねばならない』というのが多いです。それをなくせばいいと思います。そういう意味では日本は道のりが長いですね。だから、今回、こういうインタビューの機会を設けていただき、大変ありがたいです。少し妙ですが、アスリートって自分の競技のことしか知らない人が多いです。でも、私はいろんな事例を見てきたことで、共通項を洗い出し、『こういうことはこうなんだ』と自分の頭の中で結び付けられるので、広範囲な見方ができるのかなと思います」
スポーツ女子アナの草分け的存在ながら、女性ゆえに多くの苦心も
女子マラソンを女性アナウンサーとして初めて実況した思い出を語る宮嶋さん
―宮嶋さんがテレビ朝日に入社されたころは、女性アナウンサーが少ない時代でした。局内で女性だからということで憤ったことはありますか。
「そういうことは忘れるようにしていました。『バカヤロー』じゃないですが、そういうことを一つひとつ気にしていたら前に進めないので、全部忘れるようにしました。でも同じアナウンス部の中にいても、例えば、最初にリポーターとして現場に出て『●●選手がウオーミングアップを始めました。この後30分後にレースに向かいます』というようなひと言にしても『女の声は高い』とか『うるさい』とか言われます。同じアナウンス部の中ですよ。初めてシンクロの実況を終えた後の部会で、私が『ワクワクするようなこと、次は何を言おうかとか、こんな風に自分で紹介できる喜びはなかったです。本当におもしろかったし、楽しかったです』と言ったら、『おれたちがつくり上げてきた歴史を、お前は何だと思っているんだ』と言われました」
―宮嶋さんはアトランタ五輪で、女子マラソンを女性アナウンサーとして初めて実況されました。その時はいろいろと言われましたか。
「すごかったです。でも今年、放送レポートという冊子がありまして、その中で東海大のメディア研究の先生方がゼミで調査をしてくださり、当時の中継を学生に聴かせて学生にリポートを提出させたのですが、『問題なく、素直に聴けた』という声を紹介してくれました。あの時の実況を改めて聴くと、ウタ・ピッピヒ選手が東ドイツから亡命して、このレースに賭けているとか、一人ひとりの女性選手のストーリーみたいなことや、自分の伝えたいことを言っているなと思いました。ただ、女性アナウンサーの実況中継を聴くことに違和感を覚えた人が、当時はたくさんいらしたんでしょうね」
―取材現場でも、「女性だから」「女性リポーターだから」ということで嫌な経験をされたことはありましたか。
「得したことはありますよ。ただ、嫌なこともいっぱいありました。男の方が取材している中で、背が低い私は、それをかき分けて取材してました」(了)
宮嶋泰子(みやじま・やすこ) テレビ朝日にアナウンサーとして入社後、スポーツキャスターを務め、スポーツ中継の実況やリポート、ニュースステーションや報道ステーションのスポーツディレクター兼リポーターとして活躍。 1980年のモスクワ大会から平昌大会まで五輪での現地取材は19回に上る。2016年に日本オリンピック委員会(JOC)の「女性スポーツ賞」を受賞。文部科学省中央教育審議会スポーツ青少年分科会委員や日本スポーツ協会総合型地域スポーツクラブ育成委員会委員、JOC広報部会副部会長など多くの役職を歴任。20年1月にテレビ朝日を退社、一般社団法人カルティベータ代表理事となる。
(2022/10/28 05:00)