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2020.10.16
スポーツ・芸術・文化 世界の国から

カルティベータ・スタディートーク#2 秋山エリカ×宮嶋泰子 選手を自立・自律に導く指導

2020年10月12日20時から21時30分に行われたスタディートークの抄録をお伝えいたします。

新体操との出会い~現役時代

<秋山エリカ> 私は福岡生まれ、虚弱体質で、少しでも強くしたいとバレエを習ってました。

中学に入って器械体操部に入るが、つまらなくてすぐにやめてしまいましたが、バレエは続けていました。高校に入って部活を選ぶときに、新体操を選んだんですが・・・・最初は「何だこりゃ?」と思ったほど奇妙なスポーツだと感じました。

初めて手にする種具の操作にもなかなか慣れることができず、とにかくミスばかりで、ミス秋山と言われていました。

高校の最後の試合、これでやめようと思って全身全霊をかけた試合で、フープ(輪)を投げ上げたら、それは観客席に飛んで行ってしまい、自分の手には戻ってこなかったんです。あまりに不甲斐なく悔しく、もう少しうまくなりたいと東京女子体育大学の門をたたくことになります。そこに入ればミスをなくす方法を教えてもらえるのではないかと思ったから。

しかし、現実には「大変なところに入ってしまった・・」というのが最初の印象でした。

複数人いるコーチたちがそれぞれ異なることを言ってきました。中には失敗したらできるようになるまで100回練習とまで言われました。コーチの話をすべて聞いていたら自分がなくなってしまうと思い、納得できる部分だけを自分のものとすることを習慣とするようになりました。

とはいえ、日本代表として海外の大会に出るようになるものの、ミス秋山は変わらず・・・

ある海外の試合で、下位の選手で、体形も太目でとても上手とは言えなかった選手が、一生懸命に演技をして、終わった後、満面の笑顔で客席に手を振っている姿を見て、ハンマーで頭を殴られたようなショックを受けました。いつも自分は誰かと比較をしてやっていたんですね。自分自身が没頭して自分の演技をしていなかった・・・その結果ミスばかり・・・

それから「自分は自分」という気持ちになり、独自の境地を切り開いていくことができました。選曲や衣装、テーマも外国にはないものを選び、外国選手のようなすらりとした体系ではない自らの日本人的な体形も個性として演じるようにしてきました。

<宮嶋> 当時の秋山さんの演技はとても個性的で、おどろおどろしいものや日本的なもの、奇妙なものまで演じて、世界の人も驚くほどの個性的な秋山ワールドを展開していましたね。

その結果、日本選手権6連覇。1984年のロス五輪、1988年のソウル五輪の日本代表選手。

1989年の世界選手権では、ソビエトやブルガリアという強豪国が出場している中で8位という成績を残されて、これは強豪国が出場している条件の下では当時として最高の成績でした。

<秋山> この時8位という成績を残せた世界選手権はサラエボで行われた大会でした。サラエボの街や村を歩きながら、自分が新体操という競技をすることができるとても恵まれた環境にあることを感謝して試合に臨んでいんでいたんです。

世界の様々な国々に遠征に行くと、生活苦にあえぐ子どもたちや戦争の傷跡などを見ることがある。そうした中、自分がこうしてスポーツに没頭できることの幸せをかみしめるようになっていきました。

また、海外遠征に出かけると世界各国の選手と知り合いになります。同じ大会で一人一人がベストを出せるようにと願うようになっていきました。

東京女子体育大学の教授として、新体操の指導者として

<秋山> 現在は東京女子体育大学で新体操の指導に当たっています。

新体操は世界では17歳18歳がピークのスポーツです。大学生になっても続けている日本は世界的にみるととても稀なんです。20歳前後の選手層の厚さでは世界一と言ってもいいかもしれません。それだけ皆新体操が好きで、踊ることが好きな学生たちが集まっているということでしょうか。

<宮嶋> 東京女子体育大学は日本の新体操の原点を作った学校とも言え、1984年のロス五輪から五輪種目になった新体操の日本代表は代々、東京女子体育大学からの学生が独占していました。

しかし、2009年から、日本体操協会の方針で、2012年のロンドン五輪代表のための若手のオーディションが行われ、常時ナショナルチームが作られ一年中合宿をするという体制が組まれるようになりましたね。

<秋山> これによって大学で新体操をする選手にとっては、ナショナルチームに入るという目標もなくなってしまったのですが、それでも入ってくる選手がいるということは何か違う楽しみや目的があるからに違いないと考えています。

また、最近の新体操のルールでは、次々に技を入れて点を稼ぐことが重視されるので、20歳前後の選手が何かを表現したいと思ってもそれが許されるようなルールにはなっていないのです。しかしそれでも続けている選手たちには、新体操部に所属していることでの楽しみがあるはずだと考えています。

指導者としては「社会に出て役に立つことを新体操を通じて習得していく」そこをポイントに指導していきたいと常々思っています。

秋山流 指導の特徴

試合の日を目標として設定すると、それまでに、各人が抱える課題をどうやってクリアーしていくかというテーマをもって練習させます。自分の課題を客観的にとらえ、修正方法をあれこれとトライしながら、完成品のイメージに近づけていくように導きます。選手が自分たちで考えながら作業をしていくようにしています。

成功した時にこそ、「今のはなぜ成功したのか」と考える癖をつけさせる。毎日書かせるノートにも、失敗したことよりも成功したことを書いていく。その時の状況や前後の生活パターンなどを事細かに記させるようにしています。選手はそのノートを見返しながら、再び成功への体験を追認していけるわけです。こうした面白さがあるから、選手たちは続けていくのだろうと思います。言われたことをやっているだけでは続かないですよ。

日本のコーチは世界のコーチと比較しても技術を教えるのがうまいと思っています。だから投げる角度なども細かく指導してしまう。本当はそう教えたほうがコーチとしては楽なんです。しかし、そうなると選手は言われたままになって、自分で考えなくなる。外国のコーチはとてもおおざっぱな教え方。だから選手は自分で考えてやるしかないんです。(笑)

チームビルディングの大切さ

大学では新体操部全体が、試合に出場する選手を支えるチームという考え方をしています。

その意識を持たせるためのワークを紹介しましょう。

アットランダムに6人ずつのチームに分けて、「無人島にこれから行くとしたら、あなたは何を持っていく?」と各人に聞きます。

各々が持っていくものを決めます。

一人一人が「ナイフ」「水着」「シャベル」「炭」・・・思いつくものを挙げる。

「その道具で秋山をもてなす計画を皆で作ってほしい」と依頼。

持ち寄ったものをどう生かすか皆で考えさせます。

「水着」で泳いでもらった後、「シャベル」で穴を掘って「炭」で火をおこし、「ナイフ」で切った木の実を焼いてもてなす・・・、楽しいもてなし方法ができましたねえ。

「もしこれが6人全員がナイフだったらどうなっただろう?こんな楽しいもてなしはできなかったはず。みんな違うからこれだけのものができるんだよ」と伝えるんです。

個性があり、異なるからこそ力を合わせて何かができる。

72人の部員がいるが、試合に出られるのは12人のみ。しかし試合に出られない60人の部員にもそれぞれとても大切な役割がある。衣装を作る担当、審判の担当、曲の担当、皆が一つ一つの仕事をこなして、初めてチームとして動く。

コーチから見ると、試合に出る選手は、その役割をする人としか思っていないんですよ。

<宮嶋> それに関連した話ですが、子どもの頃から体も大きく運動神経もよく、だれからも叱られたことのないいわゆるスーパースター的な子供が成長していく過程で、とてもわがままになってチームメイトも困ってしまうケースが時々あります。子どもたちは指導者に「A君はわがままで困ります。」と訴えても、「おまえなあ、Aがいないとこのチームは勝てないんだぞ。我慢しろ」と言われてしまったりする。そんなわがままな選手はチームスポーツによく存在するのですが、どのように扱ったらいいんでしょうか・・・とエディー・ジョーンズが監督をしていた時のラグビー日本代表のメンタルコーチをしていた荒木香織さんに聞いたことがあるんです。いわゆるチームという発想ができない人の鍛え方ですね。

荒木さんは「指導者はA君にプレー以外のことで責任ある仕事、例えば用具係とかを与えることです。苦手と思われることにつけることがいいでしょうね。また、親御さんはA君を送り迎えする時に、決して車の中でその日の練習のことや試合のことなどを聞いてはいけません」とアドバイスをくれました。彼が世界の中心でないことを悟らせる手法なのでしょうね。

<秋山> とてもその話は分かりますね。私にも似たような経験があり、あまりにも自分のことしか考えない選手には、「全部自分でやってみなさい」と1か月間突き放したことがあります。(笑)

新体操王国ソビエトへの留学で驚いたこと

旧ソビエト時代に選手として留学経験があるのですが、そこで読んだ育成教科書には、何歳までにこれができるようにすることと事細かに書かれていました。何と驚いたことに、その最初のページには「金メダルを獲るために」と書かれてあったんです。それを読んだ時にめまいがしたのを覚えています。5歳で50人いた生徒は7歳では20人に、10歳では10人に、12歳では5人になっているという具合。日本では楽しい、好きというモチベーションで新体操ができるが、旧ソビエトやロシアにおいてはすべての目的が「金メダルを獲るために」とされているんですね。日本とは違います。

ロシアでは選手はチャーター機で移動するが、トップ選手にはビジネスクラス。まだタイトルを取っていない子にはエコノミーの後ろの席があてがわれ。こうして競争意識をあおる構造が作られている。ある意味精神的にも追い詰めていくやり方です。

また、現在のロシアにはヴィネルコーチという石油王の大富豪と結婚したベテランコーチがいて、彼女の意見がすべてを決める。彼女が建てた体育館には天井にカメラがいくつもついていて、選手たちはそのカメラに映らぬよう壁を伝って歩くほど恐れている。厳しい指導と激しい言葉で知られています。しかし、そうは言っても彼女の新体操や選手に対する愛情はとても大きなものも持っている。私もとてもかわいがられたんです。

それはそれ、日本は日本。

スポーツは本人がやるもの。そこでストレスを感じてまで行うものではないはず。コーチはそのサポートをするだけ。本人が金メダルを獲りたいというのであれば、それをサポートするのが指導者の仕事です。

参加者からの質問等

<ブラジル柔道男子の監督藤井裕子さんから> 「柔道は個人競技ではあるが、チームという考え方がとても大切」「チームビルディングの方法について」「ご自分のお子さんに対する接し方は?」などの質問が飛びました。

秋山さんは「子どもにかかわる時間が本当になくて、勝手に育っている感じ」と言うと、藤井さんも「私も同じで、妙に声をかけたり構ったりするのはよくないかもしれないと思っている」と話しました。闘う母を持つ子供たちはたくましく自分たちで育っているのかもしれません。!!

<1976年モントリオール五輪の女子バレーボール金メダリストの吉田昌子さんから> 私たちの金メダルもチームで勝ち取ったものです。出場選手のほかに日立には様々な役割をしてくれる人がいて・・男子大学生は胸にソビエト選手の名前のゼッケンをつけてソビエトチームと同じ動きをしてくれて・・・決勝戦でのソビエトの選手交代まで日本で練習してきた通りだっでした。「アッツ、いつもの練習通りだ」と思わず口にした選手がいたほどです。

<ハンドボールで本場ユーゴスラビアに留学経験をお持ちの新井友彦さんから> 留学時代にユーゴの内戦が勃発して、さっきまでチームメイトだった選手がお互いに敵味方になって戦う姿を見ているだけに、スポーツを通じた平和の大切さを実感している。スポーツでそうした追及をしていきたい。世界で試合をしながら、相手に思いをはせる秋山さんの思考は素晴らしいですね。

<編集後記> 

現役の指導者の方も参加され、中身の濃いお話が続きました。現役時代の独特の演技同様、指導にもまた独自のクールさと輝きがある秋山さんの指導方法を伺えたスタディートーク#2でした。

スタディートーク#3は11月15日日曜日の20時から21時30分まで ゲストはソフトボールの宇津木妙子さんです。                                  文責:宮嶋泰子

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