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2021.04.06
スポーツ・芸術・文化 世界の国から

コロナ禍のスポーツ・オーストラリア編 ~スポーツをこよなく愛するオージー(Aussie)たちはどうしているのか~

                        Reported by 伊藤瑞希

災害続きの豪州へコーチとして乗り込んで

世界中で未だに猛威を振るい続けているCovid-19。2019年12月に中国の武漢から広がり始めてから、この記事を寄稿している2021年4月の今現在まで、世界各国で完全終息の兆しは見えていない。それは、この記事を打ち込んでいる地、オーストラリアも例外ではない。付け加えると、2019年にオーストラリアは歴史的なブッシュファイヤー(山火事)に見舞われて、多くの自然、オーストリアの固有種を含む多くの動物、そして、民家等を失った。2021年3月中旬には、これも歴史的な大雨が1週間近く続き、多くの民家が流されるという水害も発生した。地震とは縁のないこの国で、こんなにも立て続けに、災害に脅かされることは珍しいと、多くのオーストラリア人の友人も口にしている。

筆者である伊藤は、2016年4月からオーストラリアでは、人口が最も多く経済中心都市でもあるシドニーにワーキングホリデービザを利用して、移住している。筆者は、18歳まではスポーツが盛んな高校の部活動でプレーをしていたが、目立った活躍は全くなく、教員を志して大学に進学した。大学2年生から指導者として、キャリアをスタートし、大学院の修士課程にも進学した。オーストラリア に活動の場を移すまでは、日本の部活動やJリーグクラブでも指導経験を積み、2013-2014年の2シーズンはシンガポールでも活動をしてきた。その他にも、国内外で多くのサッカーやスポーツ関係者と関わりを持ってきたからこそ、オーストラリアのスポーツ文化や人気が発展していることは頭では理解していた。しかし、実際に降り立つと、ここには日常の中にスポーツが根付いていた。そして、そのスポーツの重要性をCovid-19の期間中に身を染みて感じることとなった。

スポーツ王国・豪州

オーストラリアでは、Covid-19の感染者が2020年1月19日に初めて確認されてから、右肩上がりにその数は増えていった。しかし、中国を始めとする東アジア各国や欧州諸国、北米諸国ではオーストラリアよりも先行して、感染者が急増していたため、今後、この国でどんなことが起こるのかは、多くの国民や移住者は予想していた様に思える。事実、私自身も段階的に生活や仕事に制限が掛かり、ロックダウンになるのは時間の問題だとは思っていた。そして、それはつまり、スポーツ活動に大きな影響を及ぼすことを意味し、日常からスポーツが失われるのは時間の問題でしかなかった。

オーストラリア人は、私の様なスポーツ分野の人でも驚く程の健康志向である人と、程よく運動やスポーツを楽しむ人と、全く健康に関心を持っていない人と分かれている。私が、オーストラリアに来た当時に驚いたのは、運動やスポーツを楽しむ人の数の多さである。ビジネス街でさえ、早朝からランニングやスポーツジムで汗を流す人の姿を見るのは当たり前、そして、ランチタイムでさえ、ジムでトレーニングをしたり、社内の仲間たちと近くの公園でスポーツを楽しむ姿さえ、特別な光景でもなかった。4-5時を過ぎて、仕事が終わると、ジムのピーク時間を迎える。また、季節ごとに移り変わるスポーツ種目に合わせて、多くの人々がグループやチームでトレーニングや試合を楽しんでいる。

それを支えるのは、恵まれた国土と政府が管理する芝生の公園やグラウンドである。10-15分も車を走らせれば、道路の両側にいくつもの芝生の景色を見かけることが出来る。そこでは、子どもたちのトレーニングか大人たちがスポーツを楽しむ姿が、曜日に関わらず存在し、週末には朝から夕方まで、様々な年代が試合を楽しんでいる。

その楽しむというのは、自身がプレーをするだけではない。1年を通して、何かしらのプロスポーツのリーグが開催されている。つまり、スタジアムで観戦することは当然だが、スポーツパブに行けば、そのほとんどのT V画面でスポーツが流れている。それを見ながら、家族や仲間たちと嗜むビールや食事程、美味しいものはない。少し長くなってしまったが、ここまで述べた様に、オーストラリア 人は”する、観る、支える”という全ての面で、スポーツを堪能している。そんな、オーストラリアからもスポーツが消えた。

<週末は公園やグラウンドで様々なスポーツが開催されていた>

サッカーコーチを仕事として

もう少し、具体的に私自身や日常に与えた影響のことに触れたいと思う。私は、Sydney Football Clubというフットボール/サッカークラブに2016年11月から所属している。立場は、アカデミーゴールキーパー(G K)コーチで、主に、13-17歳(日本でいう中学生や高校生年代)を指導している。活動シーズンは、例年では11月から9月で、シーズンは3月から9月となっており、トレーニングが週3回と週末の試合である。それ以外にも次世代のタレントを発掘するプログラムを担当したり、クラブが提携している学校(13-18歳)でもコーチをしている。

唯一の外国人コーチとして、オーストラリア人とは異なる質や量の仕事は、当然必要になる。そして、Covid-19の際に自分が外国人コーチであることを強烈に感じた。それは、オーストラリアも諸外国と同じ様にロックダウンになっていった時に、当たり前だが、スポーツ活動も上記で説明した様に制限が増えていったからだ。グループでのトレーニングは、禁止されて選手やスタッフとも全く会えない生活が突然訪れた。それによって、普段とは全く異なる形でのトレーニングメソッドの構築やコミュニケーションスタイルが求められる様になった。

ご存知の方もいるかもしれないが、オーストラリアは各州ごとに強い権力を持っており、国政府が示した指針を踏襲しつつも、州独自のルールや規制が存在する。それを前提にした上で、オーストラリアでは2つの点で私にとって、幸運な状況があった。1つは、ロックダウン中も個人であれば、屋外で運動することが許可されていたのだ。また、他人との接触をしなければ、2人までの運動も可能であった。これによって、トレーニングのバリエーションは圧倒的に増えた。もう1つは、学校は段階的にロックダウンされる中でも、最後まで開放され、最初に開放された。当然、学校に登校するか否かは各家庭の判断に任され、学校に登校しない/できない子どもに関しては、オンラインで学習できる様なサポートが取られていた。これによって、家の中に絶対にいないといけない状況が回避されたこと、また、提携学校が行っていたフットボールプログラムは学校内の活動として、継続することが出来た。これは、子どもたちの身体活動の場を継続的に確保できただけではなく、コーチとして、私自身の働く場を維持できたことにも繋がった。

国外で働いたことがある人なら、一度は確実に直面するのがVISAの問題である。これが無ければ、どんなにその国に滞在したくても、法的に許されることはない。私の場合、まさに、Covid-19の真っ只中でVISAの期限が訪れた。それでも、上記の様に、どうにか仕事があったおかげで、オーストラリアに滞在することが出来た。こんなことは、選手たちは知らなければ、知らせることもないと私は考えていた。

<街のいたるところにあるスポーツジムは様々な世代の人でにぎわっていた>

コロナ禍の中でコーチとして何ができるのか?思わぬ効果も・・・

コーチとして、ロックダウンにより選手と一緒にトレーニングが出来なくなったので、私は選手たちの身体的な機能や体力、技術等のまずは維持を目指した。だが、1-2週間が経った際に気がついたのは、身体的なことへのアプローチよりも更に重要なのは、心理的な部分へのアプローチであることである。私は心理学の専門家ではないが、選手たちが離れ離れでも繋がっているという安心と安全な心理状態、そして、モチベーションを維持し続けるための夢中になる環境構築が重要だということである。オーストラリアでは、早い段階から心理面に対するアプローチが、国のスポーツ機関レベルで整っていた。

それでも、選手と日々触れていて、彼/彼女たちの様子や変化に気がつけるのは、私たちコーチや家族である。なので、私は週に1度以上のオンライングループミーティングと、グループで日々の出来事やトレーニング、振り返りを共有できるグループチャットを作成して、日々更新し続けた。そこには、選手自身が撮影した映像や写真を載せることもあれば、質問や振り返りの文章を載せることもある。国内外のフットボールやスポーツに関連するニュース等を載せて、お互いに意見や感想を共有すること、時には、プライベートなことも共有して、普段では触れることのない一面を垣間見ることも出来た。その甲斐もあり、選手たちと物理的に離れていても、心理的な距離は、むしろ、いつもよりも近い感覚があった。

何より驚いたのが、選手たちが時間を追うごとに、盛んに情報や意見を共有する様になったり、自主的にトレーニングをする様になったことである。結果的に、週を追うごとに彼らの上達が、目に見えて現れ出した。ロックダウンが始まった当初は、こんなことは全く想像もしていなかったし、何より、不安しかなった。これは、Covid-19がもたらした新たな学びと成長の可能性であった。

コロナ禍でも進化するスポーツ愛好心

日常生活に目を向けると、上記でも述べた様に、オーストラリアでは心身の健康維持のために、運動することがロックダウン中も含めて推奨され続けた。さすがに、プールやトレーニングジム、体育館といった室内、もしくは、不特定多数の人と物質的なものを通じて接触する可能性がある環境は閉鎖になったが、公共の公園等は常に開放されていた。その為、1日を通して、多くの人が距離を取りながら運動を継続していた。

冒頭でも触れたが、オーストラリア 人の多くが普段からトレーニングジムに通っている。ジムが閉鎖している中で、何が起きたかというと、店舗やオンラインショップから、トレーニング器具が消える様に売れていった。私が購入しようとした際には、すでに時遅し。仕方なく、家の近くから大きな石を拾ってきたり、水を入れたペットボトルを使って自宅の裏庭でトレーニングをした。

更に、各競技団体からの自宅で出来るトレーニングプログラムの冊子や紹介ビデオが、どんどんと更新されたり、アスリートたちが自主的にトレーニングをソーシャルメディアを活用して紹介したりと、その動きは早かった印象がある。

また、オンラインのミーティングツールが日常化したことで、オンラインで学べる講義(ウェビナー等)も一気に増えた。この辺りの、対応の早さや柔軟性はオーストラリアらしいと感じた。テクノロジーへの適応も、普段から進んでいるが、それを更に実感する機会になり、”やりながら改善していく”のもこの国らしい。

子どもたちの成長と選択への思い

短い様で長い約3ヶ月のロックダウンとスポーツ活動禁止の期間を終えて、私たちもトレーニングを再開出来た。先ほども述べたが、オーストラリアでは子どもの心身の健康を優先していた為、私が担当している選手たち(13-17歳)も、早い段階で活動再開が出来た。しかし、当然ながら、トレーニング前には毎回の検温と体調確認。そして、トレーニング後はスタッフ全員で全ての用具の消毒。1人も陽性反応を出してはいけないというプロクラブとしてのプレッシャーやストレスは、毎日誰もが感じていた。どんなに、チーム活動が禁止期間に選手たちがトレーニングをしていても、チーム活動再開後の怪我予防には細心の注意を払っていた。しかし、同時にパフォーマンスは上げないといけない。そんな条件下でも、教え子のG Kは飛び級(1学年上)でU17オーストラリア代表候補に入り、他の選手たちのパフォーマンスも飛躍的に伸びていった。その逞しい姿に、コーチとして毎回鳥肌が立ち、感動していた。

それでも、そんなに嬉しいニュースばかりではないのが、スポーツであり、人生である。教え子の1人は、フットボールを辞める決断を下した。様子がいつもとは異なることに気づいてはいたし、他のコーチと話をして、彼と家族ともミーティングを設ける直前だった。どこかのクラブに移るわけではなく、フットボールを辞めて、オーストラリアでの人気のサーフィンでプロフェッショナルを目指すとのことだった。彼がフットボールと並行してサーフィのトレーニングをしていたのは知っていたし、チーム活動は禁止されていたが、個人種目であるサーフィンは禁止されておらず、ロックダウン中に多くの時間をサーフィンに割いていたのは知っていた。クラブから離れた彼から届いたメールは、今でも忘れることが出来ない。

<選手たちの身長は190センチを超える。爪先立っていてもこの差(笑)>

コーチとしての喜び

更に、11歳から指導をしていた当時15歳の教え子がトレーニング中に大怪我をした。成長期に伴う怪我ではあったが、競技復帰が出来るまでに1年は掛かるかもしれないと診断された。彼が怪我をした光景は、今でも頭に鮮明に思い浮かべられる。医者からは、休養時間が増えたことで成長速度が上がり、骨が通常以上に脆くなっていたことが要因だと聞かされた。ビデオで何度もフィジオセラピストと確認をして、その日までのトレーニング負荷や当日のトレーニングも振り返ったが、専門スタッフが私の責任ではないと言ってくれた。それでも、コーチとして責任を感じずにはいられず、その後も、彼と彼の家族と連絡を取り続けた。1年間は、公式試合への復帰が出来ない可能性もあると医者からは宣告され、私たちスタッフもそれを覚悟していた。

しかし、なんと予定よりも3ヶ月も早く、公式試合へ復帰することが決まり、その知らせを聞いた時は、身体中に安堵感が漂った。この記事を書いてる数日前に、彼は怪我から250日ぶりに公式試合のフィールドに戻ってきた。試合前に言葉を掛けて、握手を交わした。そして、試合開始の笛が響いた時、私の中の時計の針も頬に流れる数粒の涙と共に、また動き出した。Covid-19は、多くを奪い、多くを与えてくれた。

<教え子は多様なバックグラウンドを持っている。(ギリシャ・イタリア・オランダ・日本)>

結婚早々コロナ別居!?

冒頭でも述べたが、2021年4月現在でも、まだ終息の兆しは見えていない。個人的なことになるが、国境が開かないこともあり、籍を入れたばかりの妻とも1年4ヶ月程会えていない。私の人生も大きく変わった。だから、今、自分に問い続けている。「人として、指導者として、どんな人生を自分は歩みたいんだ」。そんな問いを突然、オーストラリアという異国の地で突きつけられた出来事を、私は一生忘れることはないだろう。

著者紹介

伊藤瑞希

1988年生まれの埼玉県出身。選手としては、高校卒業後、日本大学のサークルと浦和レッズアマチュアという社会人チームでプレーを続ける。中学3年時に、あるきっかけでサッカー指導者になることを目指す。大学在学中に体育学とスポーツ科学の基礎を学び、20歳で指導者としてのキャリアも開始。プロフェッショナルコーチの道を模索した結果、筑波大学の修士課程に研究生を経て進学し、運動学習分野の研究(主に予測と判断)と並行してコーチングの経験を積む。2013-2014シーズンには、大学院を休学しアルビレックス新潟シンガポールでトップチームコーチとしてキャリアを積み、2015年度に修士課程を修了。その後、ワーキングホリデービザでシドニー(オーストラリア)に渡り、インターンシップから現在のSydney FCアカデミーG Kコーチを務める。2020年11月には、オーストラリアでは日本人コーチとして初めてフルタイム契約をクラブと結ぶ。唯一の日本人スタッフとして、日本遠征のコーディネイトも行う(2019年富山国際ユース大会では優勝)。教え子には、U17オーストラリア代表やプロデビューを果たした選手がおり、未来のオーストラリア代表のG Kたちの発掘と育成、強化に日々励んでいる。

Twitter; mito1988

Instagram; Mizuki Football Coach

伊藤瑞希ホームページ  https://mzkweb.jimdo.com

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